ARTICLEワイン記事和訳

ポムロール~目下構築中 21 Nov 2015


144.jpgこれはフィナンシャル・タイムズに掲載された記事の別バージョンである。

地勢が全てを語る、というのはフランスワイン業界に言い伝えられてきた教えの一つである。コート・ドールで育ったブルゴーニュ人は間違いなく、地元の地図を徹底的に叩き込まれている。何世紀もの歴史を持つ異なるクリマの境界線は、そのクリマが時には2ヘクタール、すなわち5エーカーよりも小さいにも関わらず、そのワインがどう格付けされ、我々消費者にどう提示されるかを決めるのだ。

ところがボルドーでは状況が少し異なる。ワイン愛好家の中には不変の名声を確立しているシャトーの境界線や輪郭がいかに流動的かを知って驚く人も多いだろう。例えばイタリア人ワイン・ライターであるアレッサンドロ・マスナゲッティ(Alessandro Masnaghetti)製作のすばらしい地図、エノジア(Enogea)でポヤック、サン・ジュリアン、サンテステフを見ると、ライバルである1級格付けのロートシルト、ラフィット、ムートンの畑がいかに複雑に絡み合っているかが一目瞭然だ。彼らのワインのスタイルは劇的に異なるにもかかわらず、である。

ポヤックの反対側では、1級シャトーであるラトゥールが最近は周囲をはばからず畑の買いあさりを続けており、そのフラッグシップであるグランヴァンを生み出し、最近改築したばかりのワイナリーを囲むランクロの遥か内陸に、全く性質の異なる膨大な区画を獲得している。これらの飛び地は次第にその重要性を増してきたサードワイン、ポヤック・ド・ラトゥールの生産に用いられる(レ・フォール・ド・ラトゥールは専用の区画がある)。

3つのレオヴィルが互いに入り組んでいるのはそれほど驚くことではないだろう。もとは同じシャトーの一部だったからだ。だがマスナゲッティの地図を見ればこれほどまでに最高品質のワインを生み出す有名なシャトーが密集する地域で、途切れのない単一区画の畑から生まれるワインがいかに少ないかがわかる。私が見た限り、それはモンローズとラグランジュだけだった。どちらもそれぞれほんのわずかな(おそらく栽培に不適切な)ブドウの植えられていない土地が真ん中にあるだけだ。シャトーの間では区画の追加や交換が頻繁に行われている。例えばモンローズは最近隣接する畑の膨大な区画をその高く評価されている2級シャトーに加えている。

ボルドーの地図を最も大きく塗り替えたのは誰でもない、リブルヌのネゴシアン、JPムエックスを率いるクリスチャン・ムエックスと息子のエドゥアールだろう。彼らはもしかしたら、クリスチャンの父、ジャン・ピエール・ムエックスが彼らの地元であるポムロールの名を地図に乗せることに成功したのだから、自分たちにはそれを修正する権利があると考えているのかもしれない。その変更はこのぜいたくな右岸のアペラシオンに公式な格付けがないために非常に容易なのだ。

一方隣接するサンテミリオンはというと、プルミエ・グランクリュ・クラッセとグラン・クリュ・クラッセの違いに非常に敏感であるがために、格付けシャトーに変更を加えるにはパリにあるアペラシオンを統括する組織と地元の格付け委員会両方に申し立てを行う必要がある。詳細な調査書類を提出し、新規の土地が元々所有していた土地と全く同じ性質であることを証明しなくてはならないのだ(サンテミリオンのワイン政治は問題が多いことで有名で、その原因の一つがこの二重行政だと言われている)。これこそがシュヴァル・ブランのチームが最近シャトー・ラ・トゥール・デュ・パンの最も良い4エーカーの区画をこのサンテミリオンのプルミエ・グランクリュ・クラッセのシャトーに吸収したいと考えた際、要求された手続きである。

左岸のメドックで畑を拡大することはもう少し容易だ。格付けされているのがブランド、すなわちシャトーであり、畑ではないためだ(現在の地図と有名なメドックのトップ60シャトーが策定された1855年当時の地図を比べたらきっと面白いに違いない)。

小さくても非常に価値の高いポムロール台地では更に制約が少なく、それがおそらくムエックスがクリエイティブになりえた理由でもあるだろう。世界的に有名な至宝、ペトリュスは今クリスチャンの兄であるジャン・フランソワ・ムエックスとその息子が経営しているが、20世紀に隣接するシャトー・ガザンの区画を獲得し大きく拡大した。

1990年代後半には、クリスチャン・ムエックスはペトリュスから道を挟んで向かいにあるシャトー・セルタン・ジローを獲得し、その最高の区画をシャトー・オザンナとし、最初の数年間は品質のやや劣るワインをシャトー・セルタン・マルゼルとして販売していた。

だが最もドラマティックな例はシャトー・ラ・フルール・ペトリュスだろう(ムエックス兄弟はEのアクセントについて異なった見解を持っている)。やや控えめなポムロールのシャトーはクリスチャンとジャン・フランソワの父、ジャン・ピエールが1950年に獲得したもので、この卓越したワイン商が初めてポムロールで購入した畑でもある。

私のフィナンシャル・タイムズの先輩であるエドモンド・ペニング・ロウゼル(Edmund Penning-Rowsell)著で最終改訂が1985年の権威ある「The Wines of Bordeaux」を読むとラ・フルール・ペトリュスが当時たった8ヘクタールであり、比較的軽いワインを作る一方でムエックスの収穫を手伝う多くの人々の便利な宿として使われていたことがわかる。ボルドーのガイドブックであるフェレ(Féret)の2004年版によると、畑は12.4ヘクタールである点は記載されているのだが、うち4ヘクタールをシャトー・ラ・ゲイから1990年代半ばに獲得していることには特段の記述がない。ニール・マーティン(Neal Martin)の簡潔な「Pomerol」では全部で12.4ヘクタールである点は一致しているのだが、これは「シャトー・ギヨの吸収前である」点に注目してほしい。ステファン・ブルックの「The Complete Bordeaux」によると、畑の総面積は2013年までに13.5ヘクタールにまで増えたとある。だがムエックスの現在のリーフレットではラ・フルール・ペトリュスは全部で18.7ヘクタール、数キロ(ポムロール台地としては相当な距離だ)離れた3つの区画からなるとある。

元々の区画はムエックスの地図(下の写真でエドゥアール・ムエックスが指さしている)に誇らしげに記されており、ペトリュスと宝物、すなわちシャトー・ラ・フルールの間、台地の北側に位置している。彼らがLFP1と呼ぶその区画は砂利質土壌が鉄分豊富なサブソイルの上に乗っている。

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このLFPに2005年クリスチャン・ムエックスがシャトー・ラ・プロヴィダンス獲得によってセルタン・ド・メイと教会の間にある台地の中心にある、かなり粘土質の区画が追加された。2005年から2012年の間この中心にある区画のものはJPムエックスの新作としてプロヴィダンス(シャトー・ラがつかない)の名で販売された。

そしてついに2012年、何年にもわたってシャトー・ギヨの年老いたオーナー(彼はこの一家について「複雑な家族である」と述べている)を口説いた末、エドゥアール・ムエックス(写真上)がLFP3として知られる非常に水はけのよい砂利質区画を台地の南側、ちょうどトロタノワとル・パンの間に追加したのである。ル・パンのオーナーはしばらくの間その区画の面倒を見ていた。そのブドウは非常に樹齢が高く植え替えも進んでいるが、2012ヴィンテージのシャトー・ラ・フルール・ペトリュスは実際にこの3つの区画全てのブドウを初めて使用したもので、やや出来の劣るLFP2のワインはプロヴィダンスの最後のヴィンテージとされた。ご理解いただけただろうか?(もし私がこの複雑な相関の一部でもつかみ切れていなかったとしたら今のうちに謝っておきたい)

昨夏新しくなったシャトー・ラ・フルール・ペトリュスを訪問した。最初のLFP1の区画にある古い二階建ての建物の後継とするため、LFP2の真ん中にある、もともとシャトー・ラ・プロヴィダンスのものだった大きな三階建てのシャトーをムエックスのおもてなし用に改装し、目を見張るような新しい醸造設備が設置された。

このシャトーの建物と道路の間にある二つの区画は私が訪問した際には休耕中で、排水設備の再調整を待っていた。新たな排水システムは現在LFP2に設置されているところだが(ペトリュスの一部にも行われている)、これはポムロールの地下水面があまりに高いことで有名なためだ。

この新体制は長きにわたってラ・フルール・ペトリュスのラベルを飾ってきた赤い旗によってポムロールの台地に知らしめられた。そのワインの長年のファンたちはこの変わらぬ歓迎の印に安堵しているかもしれない。

ラ・フルール・ペトリュス
お気に入りのヴィンテージ

1982
1989
1990
2001
2005
2008
2009
2010

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