ARTICLEワイン記事和訳本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

マサンドラ -クリミアの液体の至宝 14 Apr 2018

261-1.jpgこの記事のショート・バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。Doing business in and around Crimeaも参照のこと。

昨年11月、シティ・オブ・ロンドン市長が開催した晩さん会でテリーザ・メイがウラジミール・プーチンを批判した際、ロシアの外務省は彼女に対しシティで出されたクラレットではなく甘く長命なマサンドラを飲んだらどうかと応酬した。これはニコライ2世がクリミアの沿岸に所有する自慢のワイナリーのもので、彼は下の写真のように地元の畑も訪問していることが知られている。

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ジョージア朝時代の炭鉱夫によって掘られた3キロメートル以上にわたるトンネルを備えたこのワイナリーは1890年代、その近郊にある、ロシアの宮廷人が夏を過ごす宮殿のためにワインを作り、熟成させる施設として作られた。スターリンも明らかに世界中の素晴らしい至宝を収めるこのマサンドラ・セラーズの中身を珍重していたようだ。彼はそれらがナチスの手に渡らないよう、トビリシの第一ワイナリーに送り、その後第二次世界大戦が終わるとすぐ、それを元に戻している。下は1941年9月、退避させるためのワインを準備している様子を示した、書籍に掲載されている写真だ。彼らは(訳注;運び出せなかった)ワインを大量に海に流し、海は何マイルにもわたり赤く染まった。

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ヤルタ会談はリヴァディアの夏の宮殿(右上の写真)で開催されたが、そこのブドウはマサンドラの最高級ワインの一つ、長命で甘く、淡い色をした、オレンジ・ピール・エッセンスのように香しいミュスカを作るために供給されていたものの一部だ。バラクラバにあるもう一つの畑には軽騎兵の突撃の記念碑がある。ソビエト首相フルシチョフとユーゴスラビアのチトーによるマサンドラへの公式訪問は当時の写真(下)に収められている。マサンドラのワインはソビエト連邦で非常に高く評価されていたため、1980年代、ゴルバチョフによってソビエトをアルコール漬けから脱却させるために行われた過酷なブドウ畑削減政策でも特別に除外された。

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このような逸話はワイン愛好家よりも歴史愛好家の興味をひく内容だとは思うが、このマサンドラ・ワインの一部が非常な困難を乗り越えて西ヨーロッパに送られていたとしたらどうだろう。メイ氏は1本298ポンドに付加価値税を加えた金額を払い、プーチン首相の登場など想像もされていなかった遥か昔に作られたマサンドラ・ピノ・グリ1949を手に入れている。

マサンドラ・ワインが販売のために西ヨーロッパへ初めて輸送されたのは1990年代、サザビーズがモスクワでロシアの美術品でこの上ない売り上げを記録した後のことだった。サザビーズのワイン部門はソビエトとも親しくなるよう促され、その結果として大量の甘口のマサンドラ、骨董品的な価値のある液体を購入し、1991年にそれを次の売り上げに充当することになった。それらは金属のケースに入っていて巨大な書類棚のように見えた。私はロンドン・ブリッジ駅の下にあるトラップス・セラーズ(Trapps' cellars)のスタッフがそれをどうしたものかと考えあぐねていたのを覚えている。

共産主義の崩壊ののち、当時はクリミアも含まれていたウクライナが独立を宣言した。ほぼ同じころ、ティム・リトラー(Tim Littler)はチェシャーにある自身のワイン会社、ウィトウォムズ(Whitwhams)を経営する傍ら、それまでの人生をささげてきた列車を中心に置いた旅行会社を立ち上げようとしていた。かれは十代ですでにフライング・スコッツマン(訳注;急行列車の愛称)をチャーターしており、彼の父親は慌てて英国国鉄宛てに手紙を書き、それに関わるいかなる負債も自分の責任ではないと明言するに至ったという。1993年、リトラーはマサンドラ訪問を含む列車旅行を企画するためクリミアを訪れた。彼は最盛期には毎年100万ケース作られていたワインのうち1パーセントに入るほど古いマサンドラ・コレクションと呼ばれる一連のワインの品質と量に強く感銘を受け、5万ドル相当の注文をした。

この件では1994年、自身のツアー客とともに到着した彼は金の型押しをしたキャディラックに乗った、ミスター・ビッグとあだ名されるウクライナ人にみすぼらしい空港ホテルで現金を支払ったそうだ。1週間もしないうちに彼らは全員マサンドラに到着し、リトラーは自分の最初の注文品を受け取るつもりだった。ところがワイナリーはそんな契約は存在しないという理由でそれを拒んだのだ。2日間に及ぶ不毛な話し合いの末、彼はホテルのスタッフに弁護士を探してくれるよう頼んだが、答えはノーだった。銀行と同じく、弁護士というものはこの元ソビエトの地では知られていないと言われた彼はそれ以来その地をワイルド・イースト(東の荒野)と呼ぶようになった。彼が説明するように、「1991年半ばに独立する前、USSRのような中枢指令型の経済では弁護士は(外部との交渉用に)モスクワにしかいなかったようです。1994年クリミアにも銀行はあったようですがそれらと取引することはおそらく禁じられたでしょう。」彼に残された唯一の望みはミスター・ビッグにもう一度接触することだった。

だが何も物事は進まず、仕方なしに彼は裕福な旅行客と共にヤルタを後にした。ところがその帰途、彼らの列車がクリミアの首都シンフェローポリに到着した時、突然ワインを載せたトラックが現れ、彼はそれをキエフまで運ぶことができたのである。数か月に及ぶお役所との争いののち、彼はようやくイギリスまで空輸することに成功し、最初に注文したワインをすべて受け取ることができた。(下の写真は最近撮影したもので、バイカル湖の脇を走る、彼の愛する蒸気列車だ。この時の旅行は当時ほど苦労をせずに済んだ。)

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彼は1990年代前半マサンドラのワインを発注し続けていたが、同様にスイスの企業ファースバインドもマサンドラ・コレクションの古いワインを1997年から発注し始めた。その年彼らが購入した最高額は150万ドルにも及んだ。ファースバインドが2年後に売却された際、ウィトウォムズはファースバインドの在庫を買い上げた。結局マサンドラはウィトウォムズとファースバインドから合わせて約200万ドル の発注を受けたことになり、ある意味悩める従業員立ちはおそらく感謝しているだろう。リトラーが話すように「彼らは金が必要でしたから」

現在リトラーが購入したワインのうち1000本ほどが残っており、ロンドンのワイン・ブローカーでありウィトウォムズを2003年に買収したファイン+レアは2012ポンド+付加価値税の1900ホワイト・ミュスカ・リヴァディアを含む16種類のマサンドラ・ワインをウェブサイトに掲載している。EUのロシアに対する制裁はおそらくマサンドラ・ワインが市場に過剰に流れ込む危険は無くなるだろう。

マサンドラはまた、2015年のニュースでも取り上げられている。ロシアによるクリミアの併合直後、プーチンはシルヴィオ・ベルルスコーニ を連れ、数多くのカメラが回る中散策に出た。彼らはマサンドラの歴史的なワイン・コレクションを見学し、世界中のワインの中で最も古い1本と考えられており、数本しか現存していない1775年のシェリーを開けたと報道された。このことがワイン愛好家たちの間で炎上し、すでにロシアに対する背信行為についても批判されていたマサンドラのディレクターに対してウクライナが着服の訴訟を起こした。一方ウクライナ支持派だった前任者はロシアによって解雇され、現在はモルドバでワインを作っていると言われている。

2001年、ティム・リトラーはこれら1775年のワインのうち1本をマレーシアのバイヤーに32,000ポンドで売却している。最近彼がもう1本購入しようと問い合わせたが、このワイナリーは100万ユーロを要求したため、彼は却下したそうだ。

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一時期リトラーはマサンドラと非常に親密な関係を築いており、上記のような非常に古いワインも購入していた。彼はより販売しやすい辛口のミュスカも作るように進言していたが、それは「ひどかった」と認めている。「彼らの心はそこにはありませんでした。」彼らの主力は甘口のワインで、ニコライ2世の庭だったクリミアの穏やかな南東の海岸で育った早摘みのブドウを使い、発酵中のまだ甘いマストにスピリッツを16%になるまで加えたものだ。そのワインはその後樽で2年熟成され、数十年もの間地下で何層にも積み上げられたボトルの一つとして眠るのだ

リトラーによると、マサンドラ・コレクションのワインは45年から60年で成熟に達するとされており、彼は常に、提供する1日か2日前にはデカンタージュを行うそうだ(彼はアメリカの批評家、ロバート・パーカーのために開けたボトルは冷蔵庫で11か月保管しても大丈夫だったとも述べた)。私が最近テイスティングした中には未熟な1983 ホワイト・ミュスカから、マサンドラで1894年に初めて作られたトカイ・アイ・ダニル(Tokay Ai-Danil)と呼ばれるワインまであり、その味わいはどこか発酵したブラウン・シュガーのようだが、まったくもって活力に満ちていた。リトラーはまた、マサンドラのセラーで保管されていた1880年のものとされるトウニー・ポートも提供してくれた。

クリミアのワインには甘く強いホワイト・ミュスカとピンク・ミュスカ、トカイと呼ばれ特に大量に作られる黒い色をしたワイン、かつてウクライナで多く栽培されていた白の固有品種コクール(Kokur)にちなんでそう呼ばれているもの、フランス南西地方のカオールに触発されカゴール(Kagor)と呼んでいるニコライ2世のお気に入り、そしてロシア正教で重要な意味を持つ甘口の赤ワインなどがある。

クリミアの歴史の値段

これらは1本あたりの税金支払い後、付加価値税抜きの価格で、先月私がテイスティングし、Doing business in Crimeaでも紹介した7本のマサンドラ・コレクションの価格をファイン+レア・ワインズから引用したものだ。ただし彼らのウェブサイトに掲載されている16種の中に含まれるのは1949と1964のみだ
これ以外のものもリトラーが首を縦に振れば、販売してもらえるだろう。

White Muscat 1983 - £139
Kokur Surozh 1971 - £115
White Muscat リヴァディア 1964 - £188
White Muscat 1959 - £247
Pinot Gris 1949 - £298
Kagor Ayu Dag (red) 1939 - £372
Tokay Ai-Danil 1894 - £2,651

(原文)