ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

18-1.jpgここの所、中国のはるか南、これまでワイン生産地として全く未開の地だったチベットに近い地域で新しいプロジェクトが開始されるようだという未確認情報を繰り返し耳にした。北京で小耳にはさみ、シドニーで確信に変わり、上海で詳細を聞き・・・そこで私たちは今年の初め上海に行くついでに遠回りして立ち寄れないか、そこの責任者に尋ねることにした。この記事とニックの食べ歩き記事がその結果である。そしてこの記事はフィナンシャルタイムズに掲載されたもののロングバージョンである。

18-2.jpg「きっと僕らの頭がおかしいとでも思うだろうね」中国で最高のワインをつくるというLVMHのプロジェクト責任者でパリ在住のジャン・ギョーム・プラッツ(Jean-Guillaume Prats)は浮かない口調でこう話した。この3月、我々は簡素な建設現場を前に立っていた。そこはモエ・ヘネシーのワイナリーとゲストロッジとなる予定の場所で、メコン川から数多くのヘアピンカーブを辿る空港から5時間のドライブはハラハラし通しだった。

チベット人の女性たち(男性よりもよく働くそうだ)は滑車や一輪車で作業をしていた。ここでは電力の供給はまったくあてにならないのだ。我々が立っていたのはボルドーのワイン畑の標高の20倍も高い場所である。プラッツはエステート・ディレクターのステファン・デン(Stephen Deng)に開業予定の9月までに建物の建築が間に合うのか厳しく追及しているところだった。

18-3.jpgもし間に合わなければ、メンツを失うのはデンである。ボルドー出身のマクサンス・デュロウ(Maxence Dulou)が栽培と醸造の責任者である一方、デンの役目は地方政府と関係各局23か所をすべて丸く収めることにある。我々が到着したその日も、お役所にはよくあることだがデンは突然代表者の1人から呼びだされ、チベットとの国境からわずか35㎞しか離れていない雲南省南西部、徳欽県徳欽のヒマラヤ山脈のふもとにあるこの地に、このプロジェクトが必ずや素晴らしい名声をもたらすということを再度説明しに向かった。

プロジェクトは困難に立ち向かうことから始まった。中国にはワイン生産者として、あるいは消費者としての現在と今後の急成長が強く期待されている。しかし中国のワイン産地全体には共通のデメリットがある。東部沿岸部の山東省に代表されるように、どの産地も夏に雨が多く、完熟した健全なブドウを収穫することが非常に困難なのだ。一方、モエ・ヘネシーが最近スパークリングワイン事業を始めた寧夏のように冬の気温が非常に低く、ブドウが凍死しないよう大きな労力をかけて秋にブドウを土で覆わなくてはならない土地もある。また、ブドウそのものに対するダメージ以外にも、継続的な都市化による経費の高騰という問題も抱えている。雲南省にはこれらのデメリットがないという事実を聞き、今回私はモエ訪問をすることにしたのだ。

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モエ・ヘネシーは2007年に中国の蒸留酒である白酒メーカーを買収し、中国は彼らにとって最も有望な市場となった。彼らはジョイント・ベンチャーを中国で運営するノウハウを学び、需要の高い中国のアルコール市場に深くかかわることにも非常に積極的だ。そこでワイン科学者であり、オーストラリアとニュージーランドでの事業にフルタイムで関わっていたトニー・ジョーダン博士は世界クラスの赤ワイン生産の可能性のある土地を4年で探すよう命じられたのである。

彼は冬の凍結問題を避けることを優先し、最終的には低緯度かつ標高の高い場所を探すことにした。標高がやや低いとはいえ、彼らがアルゼンチンで成功したのはこの方針に従ったからだ。しかし、彼がどうやって雲南省の西の果てでブドウ畑のある小さな村々を見つけたのか、想像すらつかない。綿密な気候分析と中国トップレベルのワイン研究科とのディスカッションの末、彼が調査を南西部に絞り込んでいたのは明らかであるが。

1999年以降、地方政府は中国の辺境地域開発プログラムの一環としてチベットの農民たちにメコン渓谷および揚子渓谷の両岸にある狭く数少ない段々畑の作物を大麦からブドウへ転換するよう推奨してきた。デンによると、「徳欽政府は経済的誘因として助成金を利用し、一部の地域農民を説得して150ヘクタールのカベルネ・ソーヴィニヨンを植えさせた」そうだ。徳欽の首都からかなり南にあるシャングリラから名前を取ったワイナリーは、以前はワインとは全く異なる液体、チベットの大麦から作る「ワイン」を主力としていたが、雲南省全土のブドウを独占することを条件にブドウを使っての生産に応じることにした(ただし北京で非常に高値で取引されている甘口の赤および白ワインを作る地方の鉄鋼採掘界の有力者が所有するサン・スピリット・エステイト(Sun Spirit estate)がモエのプロジェクトの数マイル下流で現在栽培しているものを除く)。よくあることだがこの地域にブドウを持ち込んだのはフランスの宣教師で、彼らが持ち込んだのはローズ・ハニー(Rose Honey)と呼ばれるヴィニフェラではないブドウ品種だった。現在でもこの県のもう一つのワイナリー、ウンナン・レッド(Yunnan Red)が非常に奇妙な甘い赤ワインを作っている。(このサイトでそっけなく紹介されたことがある)。

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山岳地帯にあるため、ここにあるブドウ畑は小さく、あちこちに点在している。ジョーダンは見込みのありそうなすべての村に気象センサーを設置し、2011年と2012年の収穫時にブドウの味を見に戻り、高品質のワイン用ブドウ栽培が可能と思われる4つの村を特定した。様々な交渉を経てモエはこの4つの村の畑と50年間のリース契約を結び、そこで働く地域住民も確保し、320以上の区画に合計30ヘクタール(たった75エーカー)のブドウ畑を獲得した。マクサンス・デュロウはその時間のほとんどを数十人の農民との連絡に充て、ブドウの収量ではなくワインの品質に注力するよう説得して回った。これは中国の他の地域よりはかなり容易に事が運んだようである。南アフリカ、チリ、ブルゴーニュで働いた経験のあるデュロウは「チベット人は非常に優秀な農民で、我々が提示するブドウ畑の問題を彼ら自身で解決する方法を見つけてくれたりもするんだ。彼らのチームワークはすごくいいし、腕も確かだよ。」(ちなみに彼はチリ人の妻と移り住んできて、写真に写っているのは彼らのお気に入りのランチスポットでの一コマである。彼らの小さな子供たちはシャングリラの古い町に住んでいて、そこで学校にもかよっている。我々が滞在していた時は1月に彼らが住んでいた古いチベットの木製の家が燃えてしまったので新しい家を探しているところだった。)

18-6.jpg言うまでもないことだが中国での例に漏れず、ブドウはほぼすべてカベルネとメルロ、少しのシャルドネである。ただし、2200から2700mという高地で栽培されているため、2013年の醸造を行う南部のシャングリラ・ワイナリーまでの長旅に耐えられる厚い果皮が形成されることが分かった。今年は幸いなことに、ワイナリーとロッジが作られている最も標高の高い村である阿东(Adong)まで運ぶだけで済む。

阿东 とその他3つの村は非常に交通の便が悪いため、ワイナリーはとにかく現実的に設計しなくてはならない。しゃれたコンピューターソフトはスペアの部品やエンジニアが必要となるため使われていない。上海からここに辿り着くまでには、雲南の首都である昆明(今年の初めに駅で無差別殺傷テロがあった)まで飛行機で3時間、シャングリラまで山を越えるフライトで1時間、さらにくねくねと曲がる道を落石を避け、中国へチベット鉄鉱石を運ぶ真っ赤なトラックやラサへ向かう巡礼者と道を取り合いながら5~6時間のドライブが必要となる。それぞれの村は幹線道路から身の毛のよだつような斜面を登らねばならず、道はガタガタなのでブドウをいっぱいに積んだトラックがどうやってそこを通るのか想像もつかないが、地元民はきっとやってのけるのだろう。

阿东 の他に我々はShuori も訪れた。この村は最高品質のブドウが取れる可能性があると期待されている村である。モエはこの極小の土地で手に入れたブドウを一本ごとにリースしている。谷をもっと上がったところにある阿东は大きく比較的にぎやかで、あらゆる年代の人々がカラフルな祈祷旗のはためくカフェに座ってカードゲームをしており、モエ・ヘネシーの2台の白いランドクルーザーに乗った我々が通り過ぎるとみな楽しそうに手を振ってくれた。しかしShuoriでは人っ子一人おらず、流れの早い瀬の音とのんびりとした虫の羽音以外何も聞こえない。ブドウ畑は多くのチベット人の家に囲まれているにもかかわらず、蝶とクルミの木、オレンジが一杯なった木、花々と春の成長を待っているきちんと手入れされて健康そうなブドウの木だけしかない。おそらくShuori の人々はキノコでも取りに出払っているのだろう。デュロウはブドウ畑を手伝ってくれる人を探す際、この山のキノコの豊富さの魅力とも競合しなくてはならなかったのだ。

この山地の夜の空気はとても冷たいが、メコン渓谷上流の夏の気温はボルドーのそれと同じぐらいである。しかし、冷気と雲南から東側が影響をうけるようなモンスーンから守られているため、夏の降雨量はボルドーの3分の2程度であり、365日その頂に雪を蓄えるヒマラヤ山脈のおかげで灌漑用水にも事欠かない。秋もかなり乾燥していて、ブドウは成熟までより長く樹上に置いておけるため、このような細長い渓谷で1日当たりの日照量が限られてしまう分を補うことができると考えられる。さらに乾燥した山の空気のおかげでボルドーで頻発する病害もここでは少ない。

大会社ではあまりないような好都合な点もある。デュロウの栽培チーフはちょうどモエのアルゼンチンでの事業、テランザス・デ・ロス・アンデス(Terrazas de los Andes)まで片道48時間の研修旅行から帰ってきたばかりだ。2013ヴィンテージの醸造試験を行う際にはデュロウが成都の白酒生産者が伝統的に使っていた陶器の壺に合わせたフロート式蓋を発明し、発酵するワインの量が変わっても酸素にワインを接触させることなくその壺を活用することに成功した。

私は2013の試作品の赤ワイン6ロットをテイスティングしたが、そのうちの5つに感銘を受けた。私は数日前に53の中国の高品質ワインをテイスティングしたばかりだったが、それと比較してもなかなかのできだった。初めてのそして最高の「山のワイン」であり、深い色合いとあざやかで繊細な味わいはアルゼンチンの標高の高い産地のワイン、あるいは標高300-400mのリベラ・デル・デュエロの最高レベルのワインのようだった。しかし最も感動したのは樽の影響がどのサンプルでも最小限だったことである。ワインはブドウ畑の性質を純粋に表現し、完熟しており、その独特の個性とのバランスが素晴らしかった。

18-7.jpgこのプロジェクトに名前はまだない。それどころか正確な発売時期すらわかっていない。試験的な2013ヴィンテージから始めるか、独占協定のおかげでシャングリラ・ワイナリーが取引の仲介のみに関るようになる2014にするのかすら決まっていない。しかし、デュロウは少なくともある程度の数の陶器の壺をこの地域の特色として残したいと強く考えている。このような山間の村では、自然という面でも人という面でも(写真はシャングリラ近くの寺の外で食事の支度をしている家族である)、地元の空気が不足することはないと思うのだが。

(原文)