ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

112-1.jpg2015年6月25日 今日アーカイブから取り出してきたのは「Current Jura offerings – and 16 vins jaunes」および「Crittenden’s extreme styles」中のオーストラリアからの反撃に関連した記事である。この流れは土曜の記事にも続く。

2012年7月21日これはフィナンシャル・タイムズに掲載された記事のロング・バージョンである。

ジュラのワインに関するテイスティング・ノートと、グルメ・宿泊情報については「Jura delights」も参照のこと

金曜から8月の終わりまで、イギリスのワイン愛好家にとってフランスの最高の畑へ通じる新たな道が開ける。ダニューブ・ウイングスが週に2回、おこがましくも「ケンブリッジ(ロンドン)」と表記する滑走路とフランス東部のフランシュ・コンテにあるドールとの間を飛ぶのだ。

112-2.jpgドールからブルゴーニュの歴史あるワインの首都、ボーヌまではオートルートで50分だが、冒険好きのワイン愛好家はむしろ逆方向、東へのドライブを選ぶかもしれない。はるかに知名度が低いものの少しずつ流行になりつつあるジュラの畑へ向かうのだ。そこは青々とした農地が広がり、ジュラ紀という単語やコンテ・チーズを連想させ、19世紀まではブルゴーニュに匹敵するほどのワイン生産量を誇っていた場所だ。

しかし、ジュラのブドウ畑は文字通り大いに縮小されてきた。フィロキセラ、うどんこ病、第一次世界大戦、そして鉄道の開通によりラングドックがフランス北部の都会人たちのための代替のワイン供給地となったことなどがその理由だ。1960年代までにブドウ畑の面積は1000ヘクタールを切ってしまった。ミルクや他の果物はブドウよりはるかに利益になるため、現在でもジュラのブドウ畑は2000ヘクタールしかない。

ジュラのワインはフランスで最も個性的なものの一つである。シャルドネがこの地で最も広く栽培されている品種かもしれないし、軽やかなピノ・ノワールも多く栽培されている。どちらもコストパフォーマンスに優れたスパークリングの原料となるが、ジュラはその個性的な品種こそ自慢に値する。プールサールは生き生きとしてバラの香りのする赤ワインを生み出すし、トゥルソーの濃い赤はコショウとスミレの香りがする。しかしもっとも面白いものと言えば、トゥルソーの子孫にあたるサヴァニャン・ブランで、香りの強いトラミナーと同一品種であるもののジュラでは極めて引き締まった長命でフルボディの辛口白や、あえて酸化させた「黄色いワイン」も生み出すことができる。この究極がヴァン・ジョーヌと呼ばれるワインで、少なくとも6年、酵母の作る薄い膜の下でほんの一部だけワインの入った樽で熟成され、かすかに古いフィノ・シェリーを思わせる香りがするのだが、明らかにジュラ、あるいはサヴァニャンの田舎っぽいニュアンスを伴う。

オーストラリアでは最近サヴァニャン・ブランの人気が高まってきている。実はスペインでの表記ミスのせいでオーストラリアの苗木商で流行のガリシアの品種、アルバリーニョとして売られていたこの穂木がサヴァニャンだと言うことが判明したのだ。おそらく彼らは最新の手法をジュラのワインメーカーから学ぶべきだろう。

極端に単調で酸化した1970年代のワインに対する反動で、ジュラのワインメーカーたちはよりフルーティで「国際的な」スタイルのシャルドネを20世紀の最後の20年間はもてはやしていた。しかし、今世紀は大胆な実験を試みるようになり、軽く酸化した(穏やかなナッツの香りのする)スタイルと、特に畑を限定したシャルドネを用いた様々な個性、すなわちジュラに見られる畑の向き、標高および土壌の多様性をを最大限に表現するワインが作られるようになった。そしてジュラのこの多様性はブルゴーニュよりはるかに変化に富むのだと、この地域で最も活発な主導者の一人であるステアファン・ティソ(写真でブドウと共に写っている人物)は指摘する。彼は現在ドメーヌ・アンドレ・エ・ミレイユ・ティソ(Domaine André et Mireille Tissot)を妻のベネディクトとともに経営している。

彼のキャッチフレーズ「ライフ・イズ・ビューティフル(la vie est belle)」は、埃まみれの四駆でこの地域の丘や小道をくまなく連れまわしてくれた彼にピッタリだと私は思った。彼は私にワイナリーで人為的な操作を減らす方向に変わったきっかけが1990年代にオーストラリアのブラウン・ブラザーズで働いていた経験であり、地球の反対側の全く異なる環境の下でも彼自身の父が故郷で使っていたものと全く同じパッケージの酵母が使われていることを知ったからだと話した。2004年までに彼の45ヘクタールのブドウはビオデナミ栽培に変り、現在公式な承認も取得している。「私は5年間ボーヌでワインを勉強しましたが、何一つ学んでいませんでした。いや、ここで使えるものは一つもなかった、というべきでしょうね。」彼はその太い腕でさざめく緑のブドウをなでながら話した。

彼の一族が所有する非常に涼しいセラーは層状の石灰岩に掘られていて、モンティニー・レ・アルスール(Montigny-les-Arsures)村の外れにある。そこでは(ジュラでは一般的なことだが)シャルドネやサヴァニャンを完全に辛口になるまで発酵するのに丸々1年かかる。彼は今流行の最先端の醸造容器を揃えていた。大型の古樽はその多くがリュリーのシャッサン(Chassin)社のものだし、実験的な木製の発酵槽はオーストリアのストッキンガー(Stockinger)のもの、さらには陶製のアンフォラも5つあった。

ティソから見るとジュラのワインは絶好調なのだそうだ。特に北アメリカでは急激な成長を見せている。これはこの地域のトップメーカーがここ4年の間に大挙して押し寄せ、ワイン・メディアやソムリエの情熱をあおったためだ。今年は中国訪問が予定されているようだ。私はジュラの総括的プロモーションの責任者である男性に恐る恐る、じれったいほど閉鎖的な現在のイギリスの市場について尋ねてみたが、イギリスはもう制覇したとの答えが返ってきた。しかし私にはあまりその実感がない。ジュラの4つのアペラシオンであるアルボワ、コート・デュ・ジュラ、レトワール、シャトー・シャロンは私の知る限り、まだイギリスではほとんど見かけない。自然派ワインのパイオニアであるピエール・オヴェルノワ(Pierre Overnoy)とガヌヴァ(Ganevat)が辛うじて冒険心のあるワインリストに見られる程度である。

「ジュラの法王」と呼ばれるジャック・ピュフネイ(Jacques Puffeney)はその5回目のヴィンテージを迎えるところだが、彼のワインは確かにイギリスにもヴァイン・トレイル(Vine Trail)によって輸入されている。彼はワインそのものの表現を大切にし、彼自身が饒舌になることを避けているようだったが、1774のヴァン・ジョーヌが最近ジュネーヴの競売で大変な高額で売られたと語り、彼はこれまで一度もヴァン・ジョーヌになるワインの樽の試飲をしたことがないのだと言った。彼はただその中身を6か月ごとに分析し、最終的な瓶詰の工程にいつ入るかを決めるのだそうだ。

はるかに饒舌なのはバヴァリアン・ルドウィグ・ビンダーナーゲル(Bavarian Ludwig Bindernagel)で、かつてパリの建築家だった彼は今、ジュラで3ヘクタールの畑とこぎれいな家屋を守り、そこでル・ジャルダン・シュル・グランティン・ゲストハウス(Les Jardins sur Glantine guesthouse;写真)をパートナーと共に古いワインの街ポリニー(Poligny)で経営している。「ワインメーカーとして優れている点なんて僕にはないんです」彼は屈託なく話した。「ただ素晴らしいテロワールを手に入れただけですよ。」

112-3.jpg確かに彼のシェ・デュ・ヴュー・ブール(Chais du Vieux Bourg)のワインは魅力的な野性味と果実味を持ち合わせているし、彼のシャルドネは魅力的な「スー・レ・スリジエ(Sous les Cerisiers 桜の樹下;中ほどの写真参照)という名でニューヨーカーの心をわしづかみにし、彼が信じられないという様子で語ったところによると1本120ドルもの値がついているそうだ。「僕たちのワインはパリよりもニューヨークの方が売りやすいんです。」と彼も認めている。

しかし、彼は最近ジュラの地下セラーや青々とした畑に吹く変化の風に大ききく背中を押されているそうだ。毎年意欲的なヴィニュロンたちが美食に沸くこの地域の可能性に刺激されて移り住んできているし、今やケンブリッジ(ロンドン)との距離もこれほど縮まったのだから。

注目の生産者とイギリスのインポータ(括弧内、ただし2012年現在のデータ)

Berthet-Bondet
Bourdy (Dudley & de Fleury)

Chais du Vieux Bourg
Ganevat (Les Caves de Pyrène)
Labet (Vine Trail)
Pierre Overnoy (Les Caves de Pyrène)
Jacques Puffeney (Vine Trail)
Jean Rijckaert( Wine Direct, Bibendum)
Tissot (both A&M and B&S) (Richards Walford/Berry Bros)

原文