この記事のショート・バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。特に繊細な50本のワインに関するテイスティング・ノートはWallowing in 1928s, and other relicsを参照のこと。
5年もののワインと50年物のワインに大きな違いがあるのと同じで、古酒のテイスティングは若いワインのテイスティングとは大きく様子が異なる。
このことは昨年秋に6人でダイニングテーブルを囲み、ボルドーの1928に注目したディナーを企画した際にも明らかだった。1928のヴィンテージはその6人の一人で、誰よりも古酒のテイスティング記事を書いた経験があるクリスティーズのマスター・オブ・ワイン、マイケル・ブロードベントが「猛烈にタンニンが強い」と評したヴィンテージだ。彼のテイスティング・キャリアの集大成であるハードカバーの本、「ヴィンテージ・ワイン」は1973年にブレーメンでテイスティングした1727年のホックにまでさかのぼっている。
我々にとって幸せなことに、1929はそのタンニンの保存力のおかげもあって非常に長命なヴィンテージで、注目されたのは「果実味が残っているかどうか」だった。
現代のワイン業界での力関係を示すがごとく、テイスティングすることになっていた7本のワインのうち4本は香港のワイン商でワイン愛好家でもある人物から入手したものだった。アルタヤ・ワインズ(Altaya Wines)のパウロ・ポン(Paulo Pong)は以下の古酒を1990年代半ばから後半にかけてイギリスで購入したそうだ。まずは1969のシャンパーニュ、ペリエ・ジュエの今はもう作られていないキュヴェ、ブラゾン・ド・フランス(Blason de France)。そして2級格付であるポヤックの2つのピション、ラランドとバロンを一本ずつ。さらに1級格付けであるシャトー・マルゴーの1924ヴィンテージだ(この年はブロードベントが5つ星を付けた1928とは対照的に星は3つしかつけていない)。
ここに、当日も参加した近しいワイン愛好家の友人がサンテミリオンの1級格付(訳注:原文がfirst growthとなっているためそのまま訳しています)であるシャトー・シュヴァル・ブラン1928、最も偉大なボルドーの甘口白であるシャトー・ディケム1924をそれらに加えてくれた。こちらが準備したのは会場と料理(旬のライチョウも加えた)、そして乾杯のためのクリュッグ1995だけだった。
(写真はマイケル・ブロードベントがパウロのヴィンテージ・ジャガーを興味津々で見ているところだ。この車はパウロがイギリス滞在用に置いているものだが、私の素人感覚でも、その動作はもう少し使ってあげた方が良いように思われた。賢いことに、パウロの妻でホテルの経営者であるソニア・チェン(Sonia Cheung)は子供たちを寝かしつけた後、少し遅れて別行動で到着した。)
ジャンエリック・ポールソン(Jan-Erik Paulson)はドイツ南部在住のスウェーデン人歯科医で希少ワイン商(www.rare-wine.com)という顔も持つ人物だが、非常に古いワインを誰よりも多くテイスティングする機会をもっており、古酒に挑戦する人々には寛容さが必要であると助言している。「欠陥を探そうと思って始めてしまうと、文句をつける点だけを探すようになってしまいます。重要なのはエレガントさや複雑さに感謝すること、そしてそのワインが作られた時代にどんなことが起こっていたのか想像するというロマンチックな気持ちをもつことです。」
この1928が発売された頃は世界恐慌の時代だったことは周知のとおりだ。そのため売れ行きは遅かっただろう。さらに直後の1929がよりチャーミングだったのに比べ、この年は保存効果の高いタンニンに満ち満ちていた。
赤のボルドーのヴィンテージは大まかに1982年以前と以後に分けられる。この特に素晴らしいヴィンテージはその後も続けてさらに気温の高い年になり、その後は(ボルドー大学の故エミール・ペイノー教授の教えに強く導かれ)バランスの良い魅力的なワインを作るためにブドウをどうやって成熟させるかが理解されるようになったのである。それより前はブドウは現代よりもはるかに早く収穫されていた。1982年以前のワインはボディが細く酸も高く、日常的に発酵槽に甜菜糖を加えることでアルコール度数を上げることが行われていた。(オックスフォード・コンバニオンのchaptalisation(補糖)の項目を参照のこと)。理論的にはすべての糖が発酵によってアルコールに変換されるのだが、私の経験上、古酒の中には明らかな甘みが感じられるものがあり、その由来が何であれ、未発酵の糖が含まれているのだと思われる。
1960年代以降の偉大なワイン醸造の進歩は刺激の強いリンゴ酸を柔らかい乳酸に変える工程、現在はマロラクティック発酵として知られる工程の理解だ。現代のワインメーカーは一般的にはそれをコントロールしている。それを進めるためには細菌を加え、止めるためにはワインを冷却するのだ(この工程は温度に非常に敏感だ)。だが昔は何が起こっているのか誰も理解していなかった。そのため、かの有名なフランス系ロシア人のワイン商、アレクシス・リシーヌ(Alexis Lichine)は1950年代に大きな痛手を負うことになる。アメリカ行きの膨大な量のブルゴーニュワインが大西洋の真ん中で天候の急な変化によって温度が上昇し、再発酵を始めてしまったのだ。
新旧の時代のワインの大きな違いはまだある。信憑性の問題だ(オックスフォード・コンパニオンのadulteration and fraud(粗悪品と詐欺)参照のこと)。ワインの輸送に伴う書類に専門家による(God bless the EU)法的な統制が行われるようになったのはようやく1970年代になってからのことだ。それまではフランスのワイン商は日常的にボルドーやブルゴーニュのサンプルを3つずつ、ロンドンの顧客の元に持って行っていたのだが、それらには味わいを補うためにローヌや北アフリカのワインが含まれており、その割合はどんどん増えていた。最も多く「補強」されたワインは常に人気が高く、ポールソンが述べ、私自身もそれに賛同するが、これら模造ブレンドは実際美味しかったのだ。彼は自身のセラーにまだそれらが今でも幾つかあることを認めたうえでこういった。「1940年代、50年代の古いブルゴーニュが大好きなんです。」「全体的によく熟成しますからね。たとえピノ(ブルゴーニュの赤ワイン用品種)を感じることはものすごく難しいとしても。」
このディナーの前までに私は1928ボルドーのテイスティング・ノートを書く機会は5回しかなかったので、この機会をとても楽しみにしていた。ほとんどのワインはゆっくりとボトルの中で蒸発するため1928の液面が首もとではなく、高級ワイン取引で使われる用語でいう「トップ・ショルダー」にあったのは驚くことではない。
非常に古いワインのコルクを抜くのはある意味芸術である。現代のものよりもはるかにもろいためだ。パウロはそのためデュランド(Durand)の古酒用コルク抜きを使っていた。これは鋭利ならせんと2本の長いAH-Soタイプの金属が組み合わさったもので、アメリカで人気が高く、てこの原理でボトルネックからコルクを引き出すことが可能になるものだ。
ピション・バロンのコルクはピション・ラランドものより明らかに長かったが(この細かい違いが重要なのだ)、底の方が少し欠けていた。おそらくそのために好ましくない酸素がピション・ラランドよりも多く入っていたのだろう、後者の方が遥かに魅力的で、マイケル・ブロードベントが「全く28らしくない」と述べたほどだ。ピション・バロンの方は古いワインの欠点が目立っていた。揮発酸、酢のような香り、果実味の不足などだ。それでもタンニンの量に不足を感じることはなかったのだが。
マルゴーはあまりよくないヴィンテージのものだったので寿命ぎりぎりと言ったところだった。「面白いけれど華奢」と、私はポールソンの「良い方に目を向けるように」というアドバイスを思い出しながら書いている。
その晩の赤ワインのスターは間違いなくシュヴァル・ブラン1928だった(私はそれに20点満点の20点を付けている。後で確認したらそれをテイスティングした幸運な機会はそれ以外に1回しかなかった)。その日の午前中に持ち歩いていたために澱が沈む時間はなかったボトルから継がれたものではあったのだが。他のベテラン同様、このボトルも注ぎ分ける直前に抜栓およびデカンタージュを行った。口うるさい知識人の中にはこれらのワインを数時間デカンタの中に置いておくべきだったと議論する向きもあるかもしれないが、正直なところ、そうしていたらピション・バロン1928は完全に酢の味しかしなかっただろう。
そしてその晩一番のワインだ。甘くて白い、シャトー・ディケム1924にはこれまた20点満点中20点を付け、飲みごろについては1945年から2045年と書いた。
偉大なワインのアンティークたち
私が幸運にもテイスティングすることができた偉大な古酒のほとんどはボルドーの甘口白、特に長命なシャトー・ディケムだが、以下はその他に私が巡り合った非常に古いワインの中でも最高のものだ。バーベイト・ベルデホ・フラスケイラ1992は世界で最も長命なワインと言える(50センチリットルで120ポンド、同等のボルドーよりははるかに安い。フォートナム・メイソンやアンコークトから入手可能だ)。このワインはすでに熱にも酸素にも触れているから、開封後の瓶内でもほかのほとんどのワインよりもはるかに良い状態を保つことができるのだ。
Barbeito Terrantez 1795 Madeira
Kloster Eberbach, Steinberger Cabinet Riesling Flasche 3 1846 Rheingau
D’Oliveiras Verdelho 1850 Madeira
Bouchard Père et Fils, Charmes 1858 Meursault
Blandy’s Bual 1863 Madeira
Cockburn’s 1863 and 1868 Port
D’Oliveiras Moscatel and Malvazia 1875 Madeira
Seppeltsfield Para Tawny 1882, 1889 and 1890 Barossa Valley
Clos de Tart 1887 Burgundy
Ch Montrose 1888 and 1893 St-Estèphe
Ch Latour 1893 and 1897 Pauillac
(原文)