これはボルドーのヴィンテージガイドだ。ここで取り上げたロンドン業界向けテイスティングでのテイスティング・ノートはこちらも参照のこと。この記事の別バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。
赤のボルドーは、その値札の数字に若干気持ちが萎えることがあるにしても、それに興味のある私たちのような人間には常に驚きを与えてくれる。ブルックリンやショーディッチでワイン・リストにボルドーを見つけるのは実際困難になっているが、世界中の個人所有のセラーやワイン保管庫には赤のボルドーを入れた何十万もの木箱が、それを販売する、またはもっと食欲がそそるように言えばコルクを抜く完璧なタイミングを待っている。
私自身のやりとりと、こちらのメンバーズ・フォーラムのスレッドからは多くのワイン収集家が今どのヴィンテージが飲み頃かという意見を歓迎していることがわかるが、これはボルドーが最も長命な赤ワイン(そして甘口の白ワイン)を非常に大量に作っているということが前提であるとも言える。
ジャンシスロビンソンドットコムのテイステンィグ・ノートを数えてみると、私は千を優に超えるボルドーのワインを毎年テイスティングしているが、決してそのすべてが非常に若いわけではない。
その生産量の多さでボルドーの民間組織であるユニオン・デ・グラン・クリュ(UGC)、格付けシャトー、そしてその仲間たちによって紹介され、最も注目を集めたヴィンテージは、そろそろ瓶詰めされることになるだろう最新ヴィンテージ、2016だ。数週間前私がロンドンでテイスティングをした時(Bordeaux 2016 in bottle 参照のこと)、最近はいかに飲みやすいボルドーの赤ワインが多いかということにある意味ショックを受けたと言わざるを得ない。
イギリス人ですら、ボルドーは10年経つまで飲めるようにならないという10年ルールを捨てなくてはならなくなるだろう(他の国、例えばフランス人などはそのワインを遥かに若いうちに飲んでしまう)。
最近のワイン愛好家が良くも悪くも期待するので、私はワインを飲むときは常に飲み頃の期間をテイスティング・ノートとスコアと共に書くようにしている。今回のUGCのイベントではおよそ140本の2016のワインが提供されていたが、私はポムロールやサンテミリオン(ジロンド川の右岸にある産地だ)の多くに関しては2020年からという早い時期を提案している自分に気づいた。左岸のポヤックにあり、それほど野心的ではなく、ことさら長命だとされているシャトー・クロワゼ・バージュにすらそう書いているのだ。
そして2016は決してワインを保存するためのタンニンが低いヴィンテージではないし、ほとばしるような果実味の下にしっかりとした骨格(噛み応え:訳注;chewinessは日本語にしづらい用語です)を有し、比較的若いうちから飲めると同時にかなり長い時間の熟成にも耐えるはずだ。ボルドーで最高のワインメーカー(そしてワイン学者)たちの技術には脱帽だ。21世紀に入って20年が経とうとしているこの時代に作られるワインは、いかにして赤のボルドーを若くても熟成してからも楽しめるように作るかという課題を解決してしまったことを示しているからだ。おそらく同じようなブドウの区画を特定し、それらを最適な成熟度で収穫し、その結果をこれ以上ないほど精密に取り扱い、タンニンやフェノリックの抽出が過剰になりすぎないよう作るというのがカギだろう。
他の産地で作られるワイン同様、典型的なボルドーの赤ははるかにフレッシュでアルコールやオークの重さを感じなくなってきている。醸造所での技術ではなく畑そのものの素質をしっかりと見せられる方向にすべてがシフトチェンジしているのだ。
これは特に20世紀最後の10年、そして多くの場合は21世紀の初頭まで、特にサンテミリオンでワインが相当な凝縮感を持ち合わせ、時には過剰に抽出されていた時代と比較して歓迎すべき変化である。それらの多くは限界まで完熟させたブドウを使い、タンニンと色素を最後の一滴まで絞り出し、時には特殊な機械を使って濃縮まで行って作られており、その結果できたワインを明確な味わいを残すほど香ばしい樽の中で熟成させていたものだ。
それらのワインが本当に長命かどうか、私自身はそれほど自信がない。例えば、昨年開催されたボルドー2005の総括テイスティングでは、多くのサンテミリオンが決して長命ではない点が明白だった。だがサンテミリオンですら、最近のワインは全体的にフレッシュになりがちなのは先月開催された2016のテイスティングでも顕著だった。
私が間違っているのかもしれないが(事実ワインはいつも私たちを驚かせる習性があるので)、ワインメーカーや所有者の(過剰なまでに)ブドウの成熟を追及すべきという信仰が深ければ深いほど、1990年代初頭から2000年代中盤に作られたワインは、その前後に作られたワインと比較して飲み頃である期間が早く、短いように思われる。
先日、この期間より前の最後の良年、1990の上質なボルドーの選抜されたワインをテイスティングする機会があった。この年は特に暖かい年で、若いうちは享楽的なベルベットのような質感だったワインだが、今後それほど長く熟成できるとは思えなかった。ただテイスティングした11本のうち比較的格付けの低いシャス・スプリーンはその飲み頃をほぼ終えているように感じられた一方、1級シャトーであるラトゥールのセカンド・ワイン、レフォール・ド・ラトゥール(偶然にも先月有機認証を取得した)とヴュー・シャトー・セルタンはまだまだこの上なく若々しかった(1990 bordeaux – how are they now? 参照のこと)。
もちろん、格付けほどではないボルドーの赤は通常格付けのものよりはるかに若いうちから楽しめる(いいことだ)が、それほど長く熟成することはできず、その点は価格がはるかに安い一因だ。それらのブドウが育つ地勢はそこまで環境が良くはないため、地球温暖化の前の時代、冷涼だったり雨が多かったりした年にはブドウを完熟させることが難しかった。しかし2016、2015、なによりも2009といった特にブドウが完熟した年には、これらのワインは早いうちから非常に飲みやすく魅惑的という点でこれ以上にないほどのお買い得品だ。夏が暑くなるにつれ、多くがクリュ・ブルジョワとラベルに記載されている、いわゆるプティ・シャトーの展望はよくなってきている。
このウェブサイトの同僚でMWのジュリア・ハーディングとリチャード・ヘミングは最近、2016クリュ・ブルジョワを律義にも156本全てテイスティングし、そのヴィンテージのすばらしさに感銘を受けていた。だが、これら多くのワインがすでに飲み頃である一方でその飲み頃の期間は5年程度と短く、10年もの長期間飲み頃と言えるものは非常に珍しかった。一方私が担当した格付けシャトーの2016に関していうと飲み頃は2030年、あるいはそれ以降と非常に長い傾向にあった。
以下は1980年以降で最良のボルドー赤のヴィンテージで、すでに飲み頃になっていると予測されるものの一覧だ(2015と2016が取り上げられていないのはそのためだ)。これらのヴィンテージは格付けシャトーあるいはそれと同等な品質を持つものに当てはまると言える。
それほど野心的でないが良質なワインであまり良い年でないものはこれらよりはるかに早く飲むことができる。ヴィンテージの並びはおおよそ、飲み頃となる順序であり、最も熟成が進んでいるものを上に持ってきている。
もちろん、貴重なワインのコレクションをお持ちのあなたには、1961、1959、1945もお勧めしておこう。
今飲むべきボルドーのヴィンテージ
(取り掛かるべき順に並べてある)
1985
1989
1990
1982
1986
1988
1996
1995
1999
1998 (特に右岸)
2009
2001
2004
2000
2006
2008
2012
2005
2014 (あなたがもしイギリス人ならまだ早いかも)
2010
テイスティング・ノートのデータベースにはほぼ22,000ものボルドーのテイスティング・ノートが格納されている。
(原文)