この記事のショート・バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。
ワイン愛好家の仲間に私がなぜ色もスタイルも強さも異なるどんなワインにも使えるグラスをデザインしたのか説明する際、かなり詳細な例を挙げることがある。例えばオリヴィエ・クリュッグや、ルイ・ロデレールのジャン・バティスト・レカイヨンなど才能あるシャンパーニュ生産者が、自分たちが手をかけて作り出したワインを提供するためのグラスとして背の高いフルート・グラスに異議を唱えたことだったり、シェリーの専門家であるエキポ・ナバソスのヘスス・バルキン教授が、自身が丹念に選び抜いたシェリーを偉大なブルゴーニュの白ワインと同じサイズのグラスで提供することを好むことだったりする。
私が使うセールストークの一つはそこにいる全ての人が当然とみなしていると思われる、白ワインを赤ワインよりも小さなグラスで提供するという習慣の非論理性だ。なぜ?白ワインの方が繊細さに欠けるのだろうか?そういうものもあるが、けして全てではない。白の方が赤よりもはるかにアロマティックなこともあるから、赤よりも香りを際立たせる必要がないかもしれない。だがどんな白ワインも赤ワイン同様大きなチューリップ型のグラスを回して香りを嗅ぐことの利点はあるはずだ。
白ワイン、特に白のブルゴーニュは一つ一つの要素が赤ワイン同様に繊細であり得るのだから、白ワインを赤ワインより小さなグラスで提供しなくてはならない意味が私には理解できない。
白ワインに対する無意識の偏見と考えられる点はもちろん認識している。私は頼んでいないワインのサンプルを定期的に受け取るという大変光栄な立場にある。それらのうち、赤ワインは白ワインよりも4倍、あるいは5倍の数を占めるのだ。そしてこの比率はほとんどのワイン雑誌やウェブサイトで赤ワインと白ワインに対して割かれるスペースの比率にも反映されていると言える。
イギリスを含む多くの国々で白ワインの売り上げは赤ワインよりも多い(これまでになく人気が高まり、現在意義イギリスの売り上げの10%以上を占めるロゼはちょっと脇に置いておこう)。60ミニッツという番組で赤ワインの健康上の効用が放送されて以来赤ワインの売り上げが爆発的に伸びた米国ですら、赤ワイン5本に対する白ワインの売り上げは4本だ。
1970年代後半から80年代まで、白ワインは赤ワインよりもはるかに需要が高かった。シャルドネが流行の真っただ中にあった時代だ(先週公開されたエレインのカリフォルニア・シャルドネの歴史、パート 3 を参照のこと)。当時はシャルドネがあまりに稀少だったため、シュナン・ブランやコロンバールなどが代替品として受け入れられたほどだった。そして市場はまだ、大量の砂糖水のようなワインを輸出することで墓穴を掘ったドイツの行為に反応する前だった。
アメリカのワイン・グル、ロバート・パーカーの絶大な影響力に関する多くの伝説はいいものも悪いものもあるが、その一つは白をないがしろにした赤ワイン崇拝だ。 かつて神託のように扱われていた彼のワイン・アドヴォケイトでは赤ワインのレビュー数がはるかに白ワインを上回っていた。
だが私はこの点について色に対する偏見だと言いたい。白ワインは赤ワインと同じぐらい素晴らしいものだ。人によっては、赤ワインはコースのメイン料理に合わせて飲むものであり、料理との相性が白よりもよいのだ、と言うかもしれないが、そうではない!
白ワインは一般的に、赤ワインよりはるかに料理と相性がいい飲み物だ。その証拠としてスマートなレストランでソムリエがそれぞれの料理に注意深く合わせたワインを提供するコース料理を挙げよう。ナパのザ・フレンチ・ランドリーやスペインのエル・ブリなどのように赤ワインに囲まれた著名な場所での食事の経験豊かな人間として、それらのメニューで赤ワインはデザートの直前にしか出てこないことが多いと断言しよう。食事の最初の三分の二、あるいは四分の三は様々な重さ、味わい、そして甘さの白ワインの間を踊るように縫って提供されるのだ。
白ワインのこの側面は素晴らしいことだ。(恥ずかしげもなく甘さを残した商業的なブランドのものやポート、アマローネを除いて)ほぼすべてが辛口の赤ワインよりも間違いなく多様性に富んでいる。赤ワインの違いはアルコール濃度、樽の強さ、そして熟成という軸によるものだ。だが白ワインの場合はそれらすべてについて、さらに甘みと泡という軸が加わり多様性を見せる。
シャルドネのようにたった一つの品種ですらシャブリ、ブラン・ド・ブランのシャンパーニュ、マコン・ブラン(一部は豊潤に甘く貴腐がついたものもある)、ムルソー、モンラッシェ、そして数えきれない世界中のシャルドネで作られたワインたちは典型的な濃いカリフォルニアを真似たものから最近の非常に辛口で厳格なオーストラリアまで、ありとあらゆるスタイルのワインを生み出すのだ。
私がよくやるように、異なる品種を紹介するテイスティングを主宰する場合(例えばここで取り上げられているようなワインがその候補だが)、赤よりも白の方が本当の意味で明確な特徴を示す多様なワインを見つける点ではるかに容易だ。一つの理由としては多くの赤ワインが樽に負けてしまっている点が挙げられる。
さて、白ワインの別の側面にも言及しよう。それは白ワインより赤ワインの方が爽やかである点だ。樽が強すぎて重く、噛み応えがあるほどタンニンが強いワインに当たる可能性は白ワインの方がはるかに低い。白の方が食前酒としても有能だ。赤ワインを食べ物なしで飲むことは白よりもかなり難しい(よほど軽くてフルーティでなめらかな、例えばボージョレのようでなくてはならない)。
だが私が白ワインの偉大さを議論する際の決定的要因は白ワインがどれほどよく熟成するのかという点だ。ワインの品質を示す指標の一つに熟成の可能性がある。私はザ・ワ-ルド・アトラス・オブ・ワインの第5班を出版した際、2002年にドイツでヒュー・ジョンソンと共催した、同じヴィンテージの赤のボルドーとモーゼルのリースリングの熟成状態を比較するテイスティングをよく覚えている。白の方がはるかに若々しかったのだ。
最近のテイスティングでは、さらにそのメッセージは強固なものになった。シャルドネというテーマを更に続けることになるが、シャブリで最も有名な2人の造り手であるラヴノーとドーヴィサの崇拝すべきヴィンテージの比較がそれだ。ラヴノーのレ・クロ1971は確かに若干ピークを過ぎていたが、36年経ったドーヴィサのフォレ1982はグラン・クリュではなくただのプルミエ・クリュだが、まだまだ熟成の可能性を見せていた。その他のワインも同様だった。
白のブルゴーニュで最も長命なワインとしてシャブリが有名なように、そのオーストラリアでの長期熟成の役割を担うのはハンター・ヴァレーに特異な辛口の白、セミヨンだ。ソーテルヌでも使われる品種だがここではオーストラリアで最も長命な辛口の白の呼び名が高い。クリス・ティレルはその一族が先駆者であるハンター・ヴァレーのワイナリーから、セミヨンがどれほど長く瓶内で向上し続けるのかをテイスティングで示すため1998年にまで遡るワインを携えてきた。私にはこの20年を経たワインが果実味を失い始めるまで少なくともまだ8年はあると感じられた。
更に、ここまでは最も長命なワインとして有名なドイツのリースリングと、ソーテルヌに触れていない。大変幸運なことに、前者の50年物をテイスティングする機会を得たが、それはまだ非常に力強く若々しかったし、3本は明らかに正当な、残り7本はやや疑いの残る19世紀のイケムは、どれ一つとしてピークを過ぎてはいなかった。これで白ワインについて私が述べてきた意図を理解していただけただろうか。
ああ、ところで、私は赤ワインは大好きだ。白がもっと支持されるべきだと考えているだけであることは申し添えておこう。
写真はクロスター・エーベルバッハの古いリースリングを収めた有名なカビネットのコレクションだ。それらのテイスティングについては100 vintages of Rieslingを参照のこと。
長期熟成に値する白ワイン
以下に白ワインを代表する例を紹介している。
Chablis
Pessac-Léognan
Sauternes
Vouvray and Montlouis
Hermitage Blanc
Albana di Romagna
Carricante Etna wines
Fiano di Avellino
Selected Friuli wines
Soave from Gini and Pieropan
Verdicchio dei Castelli di Jesi
Trebbiano d’Abruzzo
Viña Tondonia, Rioja
Bairrada
Dão
Virtually any Riesling from anywhere in the world
Austrian Grüner Veltliner
Tokaj
Hunter Valley Semillon
個別のテイスティング・ノートは170,000強のデータベースを参照のこと。取扱業者はWine-Searcher.comで。
(原文)