この記事のショート・バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。
ドンペリニヨンかクリュッグか。それが問題だ。だが贅沢品ブランドの卓越した所有者、LVMH擁するこの2大プレステージ・シャンパーニュのライバル関係は、シャンパーニュ1本に150ポンドを払う気などさらさらない向きにとっても、見ているだけで面白いだろう。両社どちらも明確な違いを維持する気概に満ちた新しいワインメーカーを迎えている。
ドンペリニヨンは、社内ブランドであり、モエ・エ・シャンドンの最高級品として君臨してきた。その名はシャンパーニュを「発明した」とされている人物にちなんだもので、彼の所属した修道院であり、上の写真のオーヴィレール修道院を拠点とし、中心となるシャンパーニュ・ハウスとは全く分離されている。
ドンペリニヨンはその詳細よりも、イメージで捉えられるシャンパーニュだ。LVMHの社員がその数百万ともいわれる生産本数を公表するという考えは捨てた方がいい。驚くべきは、その生産量の多さにもかかわらず、非常に美味しいという点だろう。ヴィンテージ表記のあるキュヴェがどんどんリリースされているのに加え、非常に長く熟成が可能なことからレイト・リリース版(P2およびP3と呼ばれる)も発売されている。そのレモン・ムースを凝縮したような香りは部屋中に漂うのを感じることができる。
ただし、ワインメーキング・チームに情報を求めすぎてはならない。シャンパーニュを愛するマスター・オブ・ワイン仲間が最近私にメールでその2つのワインについて語ったところによると、「あなたも私と同じように、Richard Gがワインメーキングの質問をいかにかわすのかを見て楽しめると思いますよ」。
Richard Gとはリシャール・ジョフロワのことで、2018年にドンペリニヨンの責任者を退任した人物だ。彼はこの上なく重要なベース・ワインのブレンドを監督していただけではなく、出来上がった泡を世界中に売り込んで回る分刻みのスケジュールもこなしていた。
彼のポジションは44歳のヴァンサン・シャプロン(写真)が引き継いだが、彼はリシャールとドンペリニヨンで13年間を共にした人物で、おそらく今回のパンデミックで旅ができなくなってほっとしている、世界でも数少ない人物の一人だろう。彼はZoom経由で、オーヴィレール修道院の空になった倉庫を背景にドンペリニヨンの新たなステージ、2010について話してくれた。ジョフロワの役割を担うということは、巨大なモエ・エ・シャンドン王国のすべてのワイン生産の責任を担うことであり、旅を伴わずともその新しい役割に求められることは膨大だ。「コロナ・ウィルスは私にとってベストタイミングでした」明らかに現状を確認する時間が稼げたことにほっとしている様子で語った。
だが、彼が本当に話したがっていたのは2010年のシャンパーニュについてだった。2010年はこの産地にとって決して恵まれたヴィンテージとは言えなかった。多くの畑が腐敗の蔓延に悩まされたというのが一般的な認識だ。だがシャプロンはそれを「シャンパーニュの忘れられたヴィンテージの一つである」と確信する。2010年、彼は今よりはるかに下っ端で、定期的に畑を訪れてブドウの様子を確認し、収穫の戦略を統括する立場だった。彼は特に、9月4日と5日の週末、畑を出たり入ったりしたことを覚えているという(あまりに頻繁に乗り降りするからと車のカギをかけなかったため、ラップトップを盗まれたそうだ)。
その時点で特にピノ・ノワールに影響を及ぼしていた腐敗はそれほど広がりを見せていなかったが、継続的な観察とフランス南部からの初期の報告を鑑みて、彼はリスクがシャンパーニュでその時点で考えられていたよりはるかに深刻であると直感し、畑の管理チームに毎日畑を観察し、ことさら警戒するように指示を出した。その結果、腐敗の進行状況の細かな地図を作成することができ、どの区画が収穫に値しないのか適切に判断することが可能となり、結果として15%のブドウを却下するだけで済んだ。「多くの人が2010のヴィンテージを失敗しました。でも、収穫はスポーツのようなものです。常に集中力を切らしてはなりません。」
2010年末にシャンパーニュ生産者の公的団体、CIVCが発表した詳細な研究によると、この年の腐敗蔓延の原因は非常に乾燥した夏に受けたストレスによるものだそうだ。保水性の高い石灰質土壌にあるブドウにはあまり影響は出なかったが、それ以外の区画では薄く繊細な果皮がボトリティスの格好のターゲットとなった。8月15日に局地的に降ったひどい雨は、ブドウの健康状態に大きなばらつきをもたらしたことを意味しており、石灰質土壌にあった最高品質の区画だけはなんとかその被害を免れた。
彼は2010のシャルドネは「40年間で最高の出来だ」と主張する。ピノ・ノワールの潜在アルコールは10.6%で、一部は11.2%にもなり、シャルドネはおよそ0.2%それより多かった。一方で酸は2008を除くこの10年間で最も高かった。
彼の言葉の正確性を私が推し量るすべはないが、2010は確かに成功しているし、なにより私は彼がジョフロワと同じぐらい、完璧なドンペリニヨンのアンバサダーであると確認した、シャプロンに脱帽だ!
クリュッグは1999年になってようやくLVMHに吸収されたが、まったく毛色が異なる。オタク気質の玄人をターゲットにした遥かに知性的なワインで、まさにクリュッグその人、現当主は6代目のオリヴィエが世界中を飛び回り、クリュッグ-イズムを広げて回り、涙が出るほど詳細なワインメーキングの内容を伝えている。彼らのグランド・キュヴェ・168エディションをZoomで自身のオフィスから紹介しながら、オリヴィエ・クリュッグは「30年この仕事をしてきて、飛行機のチケットがデスクにないのは初めてのことです。寂しいです」と嘆いた。
クリュッグの新しいシェフ・ド・カーヴ、ジュリー・カヴィル(Julie Cavil)は46歳、上の写真の人物だが、168エディションの複雑なブレンドについてさらに技術的な背景を紹介し、自分がなぜこの有名なシャンパーニュ・ハウスにスカウトされたのか詳細に語った(彼女はもともとパリの広告代理店に勤務していたが、ワインに魅せられた)。「それは2006年のことで、オリヴィエの叔父、レミ・クリュッグ(一族のチーフ・セールスマンとしてオリヴィエの「疲れを知らない」先輩にあたる)への7回目の取材の時でした。彼が最後に1本のシャンパーニュを持ってきたので、打ち上げかと思ったのです。でも違いました。彼が言ったことは「OK、ジュリー、このシャンパーニュで夢を見させてくれないか」でした。
シャプロン同様、彼女はまず畑から始めた。彼女の最初の仕事は壁で囲まれた畑、クロ・デ・メニルの収穫を監督することだった。この畑のシャルドネは特別に瓶詰めされ、1本およそ1000ポンドで販売されるものだ。
ただしクリュッグはヴィンテージの記載されたブリュットも販売しているものの、クリュッグ家から受ける印象は、彼らはノン・ヴィンテージのグランド・キュヴェにことさらの関心を抱いている点だ。これは非常に複雑な工程を経て造られ、100種類もの候補となる原料を何度もテイスティングして行われる。2006年から、カヴィルはクリュッグのシェフ・ド・カーヴ、エリック・レベルと緊密な連携を取った。「彼はステージ上にいて、私はバックステージにいた感じです」。彼女は最重要となるテイスティング委員会に初めて参加を許されたとき、とても緊張したと話してくれた。だが、彼女はエリックの後を継いだ初めての年からその能力を発揮していたに違いないし、事実クリュッグのシャンパーニュを造り出す責任をもつ立場となった。テイスティングにはおよそ5カ月をかけ、ハウスがロックダウンされている時期にグランド・キュヴェ・175エディションのブレンドを決める段階まできた。
彼女は特別にデザインされたクリュッグのアプリに4000ものテイスティング・ノートを記録しており(このアプリは2016年に私が訪問した際に嬉々として紹介されたものだが、当時彼らはこれをドンペリニヨンのチームと共有する気はさらさらないと感じた)、ソーシャル・ディスタンスを保つため3つの部屋に分かれた他の5名の助けを得てこのタスクをあっという間に完了することができた。「8年から10年後、175エディションがリリースされる頃には話すことはたくさんあると思いますよ」彼女は言った。
かつてモエの迎賓館であるシャトー・ド・サランの前をオリヴィエ・クリュッグと車で通った際、このモエ・ホールディングスの社員は私に誇り高く「私はここに一度も来たことがありません」と話した。
LVMH所有のシャンパーニュ・ハウス
(原文)