ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

363.jpgこの記事の別バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。この記事で取り上げている人物に、彼自身の写真の提供を依頼したのだが、彼はその代わりに上のように示唆に富んだボトルの写真を送ってきた。左から右に、イングルヌックF3カベルネ・ソーヴィニョン1958ナパ・ヴァレー、ヴュー・シャトー・セルタン1950ポムロール、ロデレールNVシャンパーニュ、シャトー・ラヤス1978シャトーヌフ・デュ・パプ、ブランディーズ・カンパナリオ1846マデイラ、シャトー・ララギューヌ 1959。

もしも希少な古いワインを探していると言われたら、私はリード・ワインズ(Reid Wines)を当たってみるよう勧めるだろう。セラーやパーソナル・コレクションのワインを売りたいと相談されたら、やはり同じ、ブリストルの南にある養鶏場内で2人の人間が運営しているこのワイン商を紹介するだろう。

紹介された人はおそらくreidwines.com をインターネットで検索するだろう。だがそれはまったく無駄に終わる。次に彼らのワインリストを確認したいと考え、印刷されたものがないか探すだろうが、それもまた無駄足となる。

ロンドンのとあるレストラン経営者に、どうやって彼がリードからワインを購入したのか尋ねると、彼は笑いながら「それはもう、大変でしたよ。」と話し、「シャンパーニュ」「その他」「業界向け」という表題のついた奇妙なリストを転送してくれた。それは彼が2018年にリードから提供されたもので、375ポンドの1816スペインのモスカテルと2200ポンド1840テランテス・マデイラから始まる一覧だった。一方でヒューゲルのゲヴュルツトラミネール・ヴァンダンジュ・タルディヴ2000のハーフボトル35本は1本あたり12.5ポンドとも記されていた。

リード・ワインズは明らかに普通のワイン商ではないのだが、ワイン業界では高く評価されている。私自身、ワインのコレクションを売却したいという友人たちにはそのオーナーであるデイヴィッド・ブーブヤー(David Boobbyer)を紹介してきたが、彼らは総じてそのサービスに満足していた。哲学の教授であるジョン・ハリスは息子のため、自身の貴重なクラレット・コレクションを現金化することを決めた。彼はブーブヤーについて「チャーミングで信頼できる人物でした。彼は長い時間をかけて1本1本のボトルを吟味し(じつは箱をいくつか傷つけてしまっていたので若干動揺したのですが)、それぞれのワインについて細かく説明をしてくれました。最終的に彼がつけた価格には満足しています。」とメールで書いてよこした。

フィナンシャル・タイムズで私の先輩にあたるエドモンド・ペニング・ロウゼル(Edmund Penning-Rowsell)所有の垂涎のセラーもまた、彼の息子によってブーブヤーに売却された。息子の名もエドモンドで、彼も教授なのだが、彼によれば「何の混乱もなく、デイヴィッドの付けた価格にも全く異論もなく、さらに最高のワインについては手数料を大幅に削減してくれました。」とのことだった。

オックスフォード・ポリテクニック(現在のブルックリン)を卒業したブーブヤーが最初に就いた仕事はデヴォンにあるギドリー・パーク・カントリー・ハウス・ホテルで、オーナーのポール・ヘンダーソンが膨大なセラーを所有し、ワインへの情熱をそこに注ぎ込んでいた。ブーブヤーも同じくワインに魅了され、週末ごとに故ハリー・ワウ(Harry Waugh)やマイケル・ブロードベントなど錚々たる顔ぶれが主催する高級ワイン会に参加した。彼は今でもその思い出を大切にしまっているという。

彼は次にブリストルにあるエイヴェリーズ(Averys)へ移り、故ジョン・エイヴェリーズの伝説的なコレクションを管理する業務を任された。そういう意味で彼は社会人としての人生を常に偉大なワインに囲まれて過ごしてきたと言っても過言ではないだろう。1986年、彼は高級ワインを愛するものとして最高の職業に出会い、ビル・ベーカーの下で働くこととなる。ビルはリード・ワインズの共同創業者で、あらゆる意味で大きな人物だ。特にその大食漢ぶりは有名で、故人となった今でも多くの人が彼を懐かしく思い起こす。

当然のことながらベーカーはブーブヤーの面接もディナーを取りながら行ったが、ブーブヤーはその時飲んだワインの1滴まで思い起こすことができると話した。キュヴェ・クリスティン1976アルザス白、アンポーのムルソー1978、シャトー・グラン・ピュイ・ラコスト1959(彼の生まれ年だ)は最高品質のカルヴァドスとともに、今思い出しても垂涎ものだったそうだ。

(イギリスだけでなく世界中の美食家に愛された)ベーカーはテクノロジーを遠ざけることを美徳とし、気分の赴くままに美しく、これ以上ないほど公正なワインリストをしたためた。例えば「扱いにくい白のボルドー1920」と表現された1本14.5ポンドのワインには「ああ、歓喜に満ちたこのワイン。残るはたった6本だ」と書いている。

ベーカーは2008年に急死し、その跡を継いだブーブヤーは印刷されたリストという概念そのものを捨てた。「彼の真似をすることに意味はありません」。長い電話インタビューで彼はこう話した。一方でベーカーは自身が大嫌いな相手に対する辛辣な言葉をリストの表現の中に散りばめていたことも明かした。「もし彼がうんざりするようなワインを私が買い取ってしまったら、私自身もその標的になりましたよ」。

ベーカーはレストラン(決して高級なものばかりではなかった)への販売に注力し、特にスコットランドの高級レストランへは毎年営業ツアーに出かけることを重視していた。ブーブヤーもスコットランド担当を命じられ、その担当エリアは(訳注:スコットランドとの境から)はるか南のバーミンガムまでとされたものの、マンチェスターは除外されていた。どうやらマンチェスターにある中華料理店、羊城はビルの大のお気に入りで、スコットランドへの道中でランチに立ち寄りたかったためのようだ。

ブーブヤーは古酒の素晴らしさは十分に知っていた。「私はワインの歴史的な側面と、それが紡ぎ出す物語が大好きなんです」。だが、ベーカーが彼に教えたのは自分が売っているものをテイスティングする重要性だった。「彼は『とにかく飲んでみろ、美味しかったらそれを売るんだ』と言っていました。だからうちは11本入りのケースを販売することで有名だったんです。」(通常高級ワインは12本入りのケースで販売される)。「問題は、ビルはその12本目のボトルをほとんど飲んでしまうことでした。私は大急ぎで飲んでも1杯しか飲めませんでしたから」。

かつての国防省の貯蔵庫で「シャワーとトイレ部屋」と呼ばれていた場所のすぐ近くに保管されているリード・ワインズの在庫は事実上口コミで広まった。「信用第一です。」ブーブヤーはそう語り、「何しろ数千ポンドの価値のあるワインを取り扱うかもしれないんですからね。」と続けた。彼がこれまで販売した中で最も高価なワインは19世紀の甘口のボルドー、有名なシャトー・ディケムだ。ビルの時代には幸運なことに状態の非常に良いロマネ・コンティ1959が複数本入手できた。「もちろん1本飲んでみましたよ。それはそれは鮮烈で、しかもまだものすごくフレッシュでした。その時はビルがデカンタに手を伸ばす前に自分のグラスに注ぎましたよ」。

ワインのコレクションを売却する理由は限られている。死か医者(所有者に禁酒を命じる)か、離婚か金銭問題だ。それらを多く見てきたブーブヤーに言わせれば、激しくもめた上に扶養手当を求められる場合の離婚が最もつらいのだそうだ。

「買い付けの時に選り好みはしません。誰だってセラーごと買ってもらったほうが楽でしょう。私たちが不要なものは買ってくれる人もいますから」。面白いことに、投資価値のあるワインにはブーブヤーは全くときめかないのだそうだ。「ムートン82が20ケースあっても面白くありません。そんなものは、たとえばファー・ヴィントナーズに譲りますよ。それよりも勝ち目のなさそうな残り物を見つけるのが楽しいんです。たとえば古いオーストラリアのシャルドネとか、1985のバロン・ド・エル(30年前には飲んでおくべきプイィ・フュメ)とか、古いシャンパーニュとか。ビルの時代のワインで思い出せる限り最高なものは樽熟成したロデレールのノン・ヴィンテージで、1950年代のものでした。確か在庫一掃セールで見つけたんですが、いやはや、すごかったです」。(そのボトルは上の写真に写っている)

在庫がなくなることはないのだろうか。「全く。在庫はものすごくありますから。」彼は笑いながらこう言い、買い取ったワインを本当に売っているのか尋ねられたことがあると話した。「楽しいですよ。時にはハズレもありますが、常に驚きがありますからね。」依頼されたセラーの買取を拒否したことはあるのだろうか。「ラベルの状態は気にしていませんが、ワインの保存状態が明らかに悪い場合にはあり得ますね。セラーが暑かったら、黙って立ち去ります。意味がありませんから。自分の売るワインには責任を持たないと」。ブーブヤーによれば保存状態の悪いワインは匂いでわかるのだそうだ。「木箱が熱にさらされた香りがわかるんです。それにラベルは退色しますし、ガラスもべたつきます。アンティークみたいにね。第6感みたいなものですかね」。

彼が認識している大きな変化は、最近はセラーをただ次の世代に自動的に受け継ぐということがなくなった点だ。「最近はみなさんよくわかっていますから、例えば当時1.5ポンドで購入したシャトー・ラトゥール61が今なら2500ポンドすると知っています。ワイン・サーチャーのおかげで皆以前よりも価格に敏感ですし、遺言の検認も慎重に行われます。ただ、多くの人が勘違いしているのは、ハロッズのように完璧な状態で保管されていたワインのほうが価値があるという点です」。

彼はワインがどこに行きついたのか、その命運を人に語ることに誇りを感じている。あるカップルは自分たちが彼に売却したワインがハロッズのガラスケースに陳列されているのを見るためだけに旅行を計画したそうだ。また別のカリフォルニアのワイン商はとある委託品の提供元である貴族の事細かな情報を知りたがった。「2ケースのペトリュス82でした。執事がものぐさだったんでしょう。彼は木箱を捨ててしまい、ボトルを壁に飾ったまま放置したんです。だから前面に置かれたワインのラベルは後ろに置かれたもののそれよりもはるかに色あせていました。それでワイン商は庭師から家政婦まで、あらゆる情報を知りたがったんです」。

彼が自宅で楽しむのは、非常に古いヴィンテージのシャンパーニュだ。「ワイン・ソサイエティの古いシャンパーニュは素晴らしいですよ」。一方で、これまでに一番の喜びをもたらしてくれたワインはムートン1928だという。この年は多くの人に愛され、ヴォルネイの村長も務めたミシェル・ラファルジュの生まれ年だ。ラファルジュは自身の生まれ年の偉大なボルドーを飲んだことがなかった。だが2019年の終盤、自身のクロ・デ・シェーヌの膨大な垂直試飲のあと、リードの上顧客である香港の収集家、リチャード・オーダーズがラファルジュ一族と友人たちを招いたランチでその機会を得た。「それはミシェル・ラファルジュが亡くなる直前でした。彼は自身のブルゴーニュに対して非常に謙虚な人でしたが、そのボルドーがあまりに素晴らしかったので目に涙を浮かべていました。あれほど幸せだと感じた場面はありません」。

もともとビル・ベーカーの古い友人だったオーダーズがそれに一役買ったということだ。

「ご存じのようにデイヴィッドは慎重に慎重を重ねる人で、どんな会合でも口数が少なく、自身の意見を自ら披露する人ではありませんでした。でもひとたび尋ねられれば非常に深い洞察に溢れた意見を述べていました。」

「ありがたいことに彼は請求書とワインリストを手書きすることをやめましたが、妙な手書きのラベルはまだ残っています(最近見つけたのはラスカース61のハーフボトルです)。そんな『個人仕様』のラベルがついたワインは彼からのものなら私は自信をもって買い取りますが、他の人からのものはあり得ないでしょうね」。

「彼は特別な目的のために希少で珍しいワインを見つけることに長けています。以前友人の特別な誕生日のために、彼の生まれ年のワインでまだ飲むに耐えるものがないかと尋ねたことがあります。彼の生まれ年は1951年で、とにかく難しい年でした。ところが彼はシャトー・ラヴィル・オーブリオン1951を見つけてきて、しかもそれが素晴らしく美味しかったんです(しかもまだ何年も楽しめそうでした)。彼がどこでそれを見つけたのか、だれにもわかりません!」

リード・ワインズの連絡先
david@reidwines.com; +44 (0)1761 452645

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