ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

11月4日追記 昨日ジャン・マルク・ルーロに会って聞いたところによると、ユベールが亡くなったのはヴィレーヌのオーベール、パメラ夫妻と恒例のアルザス旅行中のディナーでのことだったらしい。リュジアンの1999と1985(もしかしたら1995と言っていたかもしれない)が提供され、そのヴィンテージについて彼の意見を求められていた時のことだったそうだ。なんというタイミングなのだろう!ジャン・マルクによると葬儀は金曜の午後2時半からボーヌで行われるそうだ。

とても悲しいニュースである。ヴォルネイのユベール・ド・モンティーユ(Hubert de Montille)、ブルゴーニュで最も歯に衣着せぬ論述家で天性の才能の持ち主が今日、この世を去った。ドキュメンタリー映画であるモンドヴィーノを見たならば、彼の破天荒なコメントを思い出す人もいるだろう。

驚くべきことは、ツイッター上にはすでに多くの、そして美しい彼のポートレートが出回っている点である。ここに示したのはブルゴーニュ専門の写真家であるジョン・ワイアンド(Jon Wyand)によるもので、彼に感謝したい(訳注;転載許可を得ていないので本サイトでは掲載していません)。

ユベール・ド・モンティーユはシャトー・ド・ピュリニー・モンラッシェ(Ch de Puligny-Montrachet)と家族のドメーヌ・ド・モンティーユ(domaine de Montille)を経営する息子であるエティエンヌ(Étienne)、デュー・モンティーユ(Deux Montille)のボトリングを任されているムルソーのジャン・マルク・ルーロ(Jean-Marc Roulot)と結婚した娘のアリックス(Alix)を残した。

私はオーストラリアの素晴らしいブルゴーニュ品種の生産者、カーリー・フラット(Curly Flat)のフィリップ・モラハン(Phillip Moraghan)がユベール・ド・モンティーユとブルゴーニュでの収穫を共にしたのを知っていたので、彼にこのニュースを伝えた。その返信が以下である。

ユベールが亡くなったことを知らせてくれてありがとうございます。哀しいニュースですが、予期していなかったわけではありません。

もし彼の84と言う年齢をどう考えるかと尋ねたのなら、彼はきっとただ一言、「パ・マル!(悪くない)」と言うのではないでしょうか。

それが彼のお気に入りの答えでしたから。それが自身の健康についての質問だったとしても、ワインや食事やチーズについての質問だったとしても。

私は2011年の収穫を手伝った3か月の間しか彼と過ごしていませんが、ユベールのことはよくわかるようになりました。彼は私のつたないフランス語にも寛容で、ブルゴーニュの歴史、アペラシオンの仕組み、ヴォルネイとポマールで彼が重ねてきたワイン造りの日々など多くのことを教えてくれました。そして彼は私がカーリー・フラットでやっていることにとても興味を示してくれ、テイスティングを一緒にし、ディスカッションしてくれました。

ユベールは友人に恵まれ、ムルソーのカーヴを頻繁に訪れていました。たいてい彼は我々のディナーに合流したので、私たちのうち二人はワインの消費量を最小限にして、彼と彼の車をヴォルネイの家まで送り届けたものです。彼は私たち全員にディナーで飲んだ沢山のワインについて意見を言うように促しました。私は特別な人物、ブルゴーニュのワインが体中を流れているような人物と一緒にいる、そんな気になりました。

もしユベールが1999のレ・リュジアン(Les Rugiens)を楽しみながら亡くなったのであれば、エティエンヌが彼のポリシーを和らげてヴォルネイのセラーにユベールが近づくのを許したか、あるいはユベールがついにその鍵を手に入れたかのどちらかなのでしょう。

私のドメーヌ・ド・モンティーユ2011はユベール・ド・モンティーユと共に過ごした素晴らしい時間のおかげで何よりも思い出に残るものとなりました。

あの偉大な人物について、私の考えを聞いてくれてありがとうございます。

原文