ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

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TT:木曜特別シリーズの意。最近の事例に関連のある過去の記事を再掲するコーナーです。

2015年6月4日私がこれを書いているボルドーでは最高気温36℃の予想が出ており(写真はアルカション湾の今朝の眺めだ)、かの有名な「猛暑のヴィンテージ」だった2003年を思い起こさせる。だがおそらくあれはそのうち「最初の猛暑のヴィンテージ」あるいは「21世紀で最初の猛暑のヴィンテージ」として知られるようになるだろう。そこで2004年4月、2003のプリムール試飲直後に公開した記事を再掲するのも面白いと考えた。会員のみなさんはこれら2003のワインが最近どう変化してきたか、2013年に掲載したジュリアの「Bordeaux 2003 – 10 years on」で追うこともできる。

2004年4月9日私が高く評価したワインは文末にある。

ワインテイスティングの大イベントは先週、ボルドーで幕を下ろした。約3000名のワイン商やワイン評論家は前年比30%増かつ史上最高の人数だったが、テイスティング・テーブルの間をあちこちと移動しながら、ヨーロッパ史上最も暑かった夏に世界で最も重要なワイン産地がどのようなワインを生み出したのかを見て回っていた。

アメリカのインポータは不利なドル・ユーロのレートに勢いをそがれる様子はなく、特に多かった。これは彼らが2001を慎重に買い、2002をほとんど買わなかったことも理由の一つだろう。生育期が難しい年だったからというだけではなく、アンチ・フランスの気運が1年前にはピークだったことも理由だ。そこで彼らはおそらくこのヴィンテージ、すなわち昨年8月の猛暑の影響で期待が大きく持てるヴィンテージに消費者の購買意欲が上がってきたと確信しているのだろう。

ワインは品質の上では私が知っているどのヴィンテージよりも振れ幅が大きいが、最も成功したボルドーの産地は今のところ、我々プロがいい加減に「北部メドック」と呼んでしまいがちな地域であり、ポヤック周辺と、とりわけサンテステフの村にあるシャトーである。シャトー・モンローズ、ラフィット、コスデストゥルネルはいい塩梅に湿度を保つ粘土質の、ボルドー市から車でゆうに1時間ほどかかる土地に集まっており、それら全て今年は非常に良い出来になっている。

これらの有名シャトーは古典的な長期熟成型のメドックに更にエネルギーと輝きが加わり、その味わいはこれまで私が健康食品店で出会ったどんな栄養ドリンクよりも健康的である。ラフィットは、始値で購入することができた幸運なワイン愛好家ですら1本当たりゆうに100ドルを超え200ドル近い価格となっている。

ところがそのほんの数キロメートル北にある本物の「北部メドック」、つまり単にラベルにメドックと表記される地域では、ワイン生産者はシャトー・コスデストゥルネルのジャン・ギョーム・プラッツ(Jean-Guillaume Prats)が言うところの「壊滅的な」経済状態にある。

この5,6年の間にベーシックな赤のメドック、長いことボルドーを買う賢い選択肢だったアペラシオンの価格は50%以上の下落を見せている。すなわち地元の生産者がトノーあたり20,000フランと言っていたものが8,000~10,000フランになっているということで、バルクワインとして商社やスーパーマーケットのプライベート・ブランドとしてブレンドされてしまえば1本当たり1ポンド、すなわち2ドル以下程度の値にしかならないのだ。

この急速な下落はおそらくフランスと海外における二重の打撃が直接の原因である。輸出市場では実質的に全てのフランスワインが苦戦しており、これは新たなワイン生産国との競合、特にニューワールドとのそれが原因である。ただのボルドーやメドックといったラベルがついた退屈なワインは今や活発にマーケティングを行っているシラーズやシャルドネに比べて圧倒的に売りにくくなっている。

それと時を同じくして、フランス国内でのワイン消費、すなわち習慣的にボルドーの三分の二が飲まれていた市場はすでに急激な下降を見せており、そこに飲酒運転に厳しい政策が追い打ちをかけ、路上でのこれ見よがしな取り締まりが行われるようになった。さらに物議を醸した「Loi Evin」という最近の健康意識を高める法律が施行され、フランス国内でアルコールの広告を規制するようになったのである。これはボルドーの生産者組合(the Conseil Interprofessionnel du Vin de Bordeaux)の新しく気の利いたスローガン「飲むなら量より質で」が「ワインの購入を煽る」として違法とされ罰金を科されるほど厳しいものだった。ボルドーの商社が地元の生産者から買い控えるようになったのも不思議ではない。

フランスの比較的無名なあらゆる産地のヴィニュロンにとっては厳しい時代ではあるのだが、特にメドックは大きな危機感を感じている。この理由の一つは、(ジロンド河口の)左岸には右岸に比べてまだ広い土地が残っていたため、20世紀後半の25年間にブドウ畑は2倍の15,000ヘクタール(37,500エーカー)にまで広がったことにある。当時赤のボルドーの世界的な需要はとどまることを知らないように見えたことが拍車をかけた。もう一つの大規模な生産地であり左岸と右岸の間にあるアントル・ドゥ・メールでは低い生産コストと活力のある協同組合のおかげで潤っていたのと対照的に、メドックの生産者たちは自己満足と時代遅れの経済モデルに基づいた多大な借金にがんじがらめになってしまっているのだ。

1990年代後半、アジアがボルドーの赤ワインに熱狂していた頃、多くのメドックの生産者たちは新たな機器への投資を行い、当時の収量は現在彼らがまかなうことのできる量よりも全体的に高かった。市場が縮小すると下落したのは価格だけではなく、平均収量も62ヘクトリットル程度から55ヘクトリットル近くまで減少した。これは干ばつによって収量が減少せざるを得なかった2003よりもはるかに低い。

メドックの粋な名前がついたクリュ・ブルジョワを代表する組織の社交的な代表、ムーリのシャトー・ムーラン・ナ・ヴァン(Château Moulin à Vent)およびサンクリストリー・メドックのシャトー・トゥール・ブランシュ(Château Tour Blanche)のドミニク・ヘッセル(Dominique Hessel)によると、今のところポヤックの小道に物乞いの姿は見当たらないものの、経済的には劇的な変化が起こっているという。新樽はどのワイン生産者にとっても最も大きな支出だったため、最大の被害をこうむったのは樽生産者であるという。小さくてそれほど豪華ではないシャトーは今はせいぜい20~30%程度しか新樽を購入する予算がないが、1990年代後半の全盛期にはおそらく80%ほどの新樽を惜しみなく使っていたと考えられるためだ。

この対照的な財運はボルドーの頂点に君臨する世界的な、ラフィットのような1級シャトーや数十の有名シャトーと、数多の「その他」シャトーでボルドーのバルクワインを作っている生産者の2003の性質にもろに反映されている。

うだるような2003の夏を超え、ボルドーで真の成功を収めたのはおそらく40ほどのワインであり、需要も非常に高くなるだろう。しかし2003のほとんどは平均的、あるいは平均以下の品質であり、それを熱心に求めるバイヤーの列はで期待できない。格付けシャトー、すなわちメドックの、ラフィットのような1級シャトーのすぐ下に位置し、クリュ・ブルジョワの上に位置するような高貴なシャトーですら、2001を売るのには苦労し、不人気だった2002は値下げをしたにもかかわらずほとんど売ることが困難だったため、全ての格付けにおいて経営者たちは膨大な不良在庫を抱えているのだ。

では2003の価格はどうなるだろうか?最高のワインの生産者はおそらく少しは価格を上げるだろうが、その他のワインにとって値上げは致命的な結果をもたらすだろう。しかしプライドが高く格にこだわるシャトーのオーナーで自分のワインは2003のワインの中でそれほど良いワインではないと公言する人がいるだろうか。

中には2003の収量が少なく、収量を減らした2002を下回ると言う点を強調する向きがあるかもしれないが、経済的な問題を抜きにすれば多くは心の中で、そして舌で、今年は偉大なワインが作れていないとわかっているはずだ。これは軽い土壌のポムロールでは顕著であり、黄色くなった葉が8月の非常に早い時期からみるみる減っていた。ジャックとフィオーナのティエンポン(Thienpont)夫妻はことしル・パンを作らないと宣言し近隣から総スカンを食った。また、ジャックのいとこであるアレクサンドルはこれまで見たことないほど意気消沈した様子でル・パンのすぐ先にあるヴュー・シャトー・セルタンを私に見せてくれた。一方、すぐそばにあるシャトー・ラフルールとレグリーズ・クリネはどうにかして心躍るようなポムロールを作ることに成功していたし、シャトー・ペトリュスとトロタノワも尊敬に値する。

サンテミリオンの台地は実質的にポムロールの延長線上にあるが、ここも同様に苦戦しており、おそらくその程度は更に深刻である。しかしここもまた、取り上げないわけにはいかないアペラシオンである。シャトー・オーゾンヌはサンテミリオンの街の下、石灰質の急斜面にあるが、おそらくこれまでで最もよい出来だっただろう。少なくともアラン・ヴォーティエ(Alain Vauthier)体制になってからは最高の出来だ。そして「ガレージ・ワイン」の先駆者であるシャトー・ヴァランドローは私には濃すぎて凝縮感も強すぎると感じられたこともあったが、2003に関しては爽やかでうまく作られているように感じられた。

蒸し暑い2003にはこの爽やかさが不可欠だ。これらの偉大なサンテミリオンに共通するのは、これまでになく高い比率で生き生きと香り高いカベルネ・フランを使い、その比率は熱による影響を受けやすいメルローを上回っている点だ。その収量は30ヘクトリットル/ヘクタールにもなる。極端な低収量や、(あって欲しくないことだが)現代的なワイン作りで使われる収穫後に人為的にマストの濃縮を行う手法は2003でも一部のシャトーで用いられたと報告があるが、すでに危険なほどバランスが悪く酸の低いマストのバランスを更に悪化させるだけの結果にしかならないはずだ。

非常にばらつきの大きいボルドーのヴィンテージの概要を述べるとしたら、2003はカベルネの年でありメルローのそれではないということだ。早熟なメルローは、特に若木は深い根を張っていないため、十分な水を得ることが困難であり、最悪の熱波が来た8月初旬にはすでに色づいていた。その果実が容赦ない日差しのために日焼けして収縮してしまったことは想像に難くない。特に品質につながるとされたブドウの完熟のためとして流行していた手法を用いて果実に日光が当たるように葉を間引いてきたシャトーではなおさらである。

カベルネ・ソーヴィニヨンとカベルネ・フランはフランスが熱波に最も苦しめられた時期、その成熟過程においてそれほど繊細な段階にはなかった。実際には、経験を積んだワインメーカーですら樹齢の高いカベルネの木がどうやって摂氏40度、実質的にこの地域ではまずありえない気温に耐えたのか見当がつかないようだ。ボルドーが世界中に拡散したこの品種の真の故郷であることを示す証拠と言えるかもしれない。

彼らは2003が厳密には干ばつの年ではないことは知っている。問題は過剰な熱と蒸散であり、地中の水分が不足したわけではないのだ。地下水位は非常に雨の多かった冬と6,7,8月の雨で十分に上がり、ボルドー中央気象台のデータでは平均的だった。タイミングよく非常に局地的な通り雨が8月の下旬にかけてブドウの成熟を再び活発にし、香り成分の上昇とタンニンの成熟を促した。樹齢の高いカベルネの木は根が深く張り、特に湿って冷たいサンテステフやポヤック周辺の土では不利な状況にも負けず見事に青々とした葉が茂り、健康的な状態がシーズンを通して保たれていた。

上手くいかなかったワインに共通する欠点は味わいの中間にあるべき果実味の明らかな欠落と、ものによっては食欲をそそられないほど低い酸である。酸が記録的な低さまで下がるにつれ糖はこれまでにないほど上がってしまったため、早熟なメルローは早く摘んでしまわなくてはならなくなった。そのため心躍るような香りも、優しく熟したタンニンも、そこに至るだけの時間はなかった。余韻に感じる一筋の青い味わいはサンテミリオンやポムロールの多くを台無しにしていたが、皮肉なことにメドック北部で苦戦していた地域ではその涼しい気候の恩恵を受け、数年ぶりに最高のワインが生み出された。

ボルドーの市場はその歴史を繰り返すことで悪名が高い。前回同様な悲劇が起こったのはつい1990年代前半のことだ。しかし当時「難しい年」と地元の人々が呼んだ年は世界的な経済の低迷によるものであり、今日の根本的で、明らかに長期的な購買傾向の変化とは異なる。現在のボルドーのワイン地図、およびシャトーの所有者は今後数年で大きく変化するだろう。しかし今回はメドックのシャトーが保険会社や銀行に買収されることは考えにくい。可能性のある救護策としては、公的な資金補助とそれに伴う期待の持てないブドウ品種の削減だろう。1990年代後半には考えもしなかったことだが、今や議論の余地はある。

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私の選ぶ2003のトップワイン

左岸

Ch Montrose
Ch Lafite
Ch Latour
Ch Cos d’Estournel
Ch Léoville Las Cases
Ch Léoville Poyferré
Ch Margaux
Ch Pichon Longueville (Comtesse)
Ch Pichon Longueville (Baron)

右岸

Ch Ausone
Ch Lafleur
Ch Pétrus
Ch L’Église Clinet
Ch de Valandraud

原文