ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

190-1.jpgこの記事の別バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。昨日公開した39の偉大なポートに関する一連のテイスティング・ノートも参照のこと。

有名なポートの一族、シミントンがドウロ川沿いに所有する二つの貯蔵施設、キンタ・ド・ボンフィンとキンタ・ドス・マルヴェドス間を移動するのに、かつてはスピードボートで12分だったのだが、今ではもっと時間がかかる。川を行きかう多くの大型プレジャー・ボートが生み出す波に、これまでは不要だった注意を払いながら進まなくてはならないためだ。リカルド・ソウサ・カンポ(Ricardo Sousa Campos)はキンタ・ダ・ロマネイラの営業ディレクターで、北部ポルトガルのワイン・ビジネスに関わる多くの人がそうであるようにその主要都市であるオポルトに拠点を置いている。だが彼は最近そこから引っ越そうと考えている。「最近では観光客が多すぎて身動きが取れないんです。だれもが民泊(AirBnB)に登録するようになってしまって。」

リスボン同様オポルト(ポルトガル語ではポルト)は、おそらくトルコや北アフリカでの観光の停滞の恩恵もあり活気にあふれている。ライアンエアーが12か国から、イージージェットが5か国から観光客を運んでくる。

先月数年ぶりにこの刷新された街とその上流にある美しいドウロ渓谷を訪問した。私はそこでのツーリズムの進歩に驚かされた。私が1976年に初めて訪問した際には本当に薄汚れた街で、汚れた洗濯物、砂利道、裸足の子供たちでいっぱいに見えたのだからなおさらだ。公式のデータによると、ホテルの定員稼働率は2012年以来57%、ホテルの収益は、民泊などを除いても同期間に70%もの増加を見せている。オポルトは2018年までにその定員が1000万名に到達すると見込んでいる。街角は、バルセロナやミラノにあっても違和感のないスタイリッシュなバーやレストランで溢れ、川を挟んで向かいにあるヴィラ・ノーヴァ・デ・ガイアの落ち着いた古いポートのロッジですらワインをテーマに、多言語のガイド、お土産店、食事場所を完備した「体験」型設備に変貌している。

ポートの実働部隊としてはテイラー、フォンセカ、クロフトが有名なフラッドゲート・パートナーシップのマネージング・ディレクター、アドリアン・ブリッジ(Adrian Bridge)はいまやホテリアーとしての方が知られていると言っても過言ではない。彼はヴィラ・ノーヴァ・デ・ガイアにあるテイラーの貯蔵設備のやや過剰気味な土地をザ・イートマン(The Yeatman)というミシュラン星付きレストランを備えた豪華なホテルへと変え、同様な変更計画を昔からオポルトで最も有名なホテル、インファンテ・デ・サグレス(Infante de Sagres)でも行おうとしている。彼は昨冬を通して同じことを遊覧船を見下ろすドウロ渓谷最大のホテル、ピニャン(Pinhão)のザ・ヴィンテージ・ハウスにも実施した。

ホテルの建築や改装にはEUの潤沢な補助金とローンが用意され、オポルトやガイアだけではなく最近まで人もまばらだったドウロ渓谷ですら、他のワイン生産者も含めホテル事業への参入を後押しされている。それに伴って多くの雇用増加が見込まれる。例えばキンタ・デ・ラ・ロサは小さなポートの街ピニャンのすぐ郊外にあるが、人気のある小さなホテルと、評価の高いワイン設備の両方を運営している。

非常に評価の高いドウロのテーブル・ワイン生産者、キンタ・ド・ヴァラード(Quinta do Vallado)のチームはピニャン下流にあるキンタに13室を、さらに野心的なことにエコ・フレンドリーな8室のホテル、カーサ・ド・リオ(Casa do Rio(川の家の意))をはるか上流、スペインとの国境に近い人気(ひとけ)のないドウロ・スペリオールの地域に建設した。キンタ・ド・ヴァラードのジョアン・フェレイラ・アルバレス・リベイロ(João Ferreira Álvares Ribeiro)がいうには、今年5月以降、彼らは稼働率100%を謳歌し、食事付きの宿泊は総取引高の20%を占めるそうだ。「私たちはターブルドット(固定したコース)にこだわっているので高い利益を見込めます。ワイン・ビジネスよりはるかにね。」彼は満足げに述べた。彼はこの地域でのツーリズムが危険なまでに急速に進んでいることを危惧しているものの、自身のワインの評判を上げるきっかけになるのは間違いないことは認めている。「今年はショップで20万ユーロ相当のワインをダブル・マージンで販売することになるでしょう。これはほとんどの輸出市場での売り上げよりも多い計算になります。」

ツーリズムの発展はポルトガルのワイン輸出業者にとっても慰めとなるに違いない。彼らは一度ならず二度までも最大の輸出市場であるアンゴラとブラジルの経済破綻による影響に立ち向かっている最中だからだ。

190-2.jpg

ドウロ渓谷の人気(ひとけ)のないユネスコの世界遺産から旅行者向けの行楽地への進化(写真はピニャンにあるキンタ・ド・ボンフィンのビジター・センターだ)は最近の道路建築の恩恵を大いに受けている。ドウロの厳しい気候(猛烈に暑い夏と厳しい冬)の秘密の一部はベンネビス山ほどの標高のある山々が大西洋とこの地域を遮っているためだ。アドリアン・ブリッジが初めてポルトガルに来た1982年にはドウロ渓谷にあるテイラーの有名なキンタ・デ・ヴァルゲラスまで車で5時間半かかっていたが、今は先の5月に開通した5.4kmのトンネルのおかげで2時間かからずに済む。かなり新しい道なので、ワイン生産者であるディルク・ニーポート(Dirk Niepoort)が先月私をドウロから空港まで送ろうとした際、この新しく時間の節約できるルートを最初は忘れていたほどだ。

ドウロに電気が通ったのはようやく1970年代後半のことで、毎春に運航されていたポートの樽を積んだ底の平らなボートにとっては危険な、流れの速い川をプレジャー・ボートのための水門でつながった複数の湖へと変貌させたダムの建設によるものだ。ポートではかつて薄暗がりの中で足踏みをしていたが(現在それは多くの観光客にとって最も魅力的な景色なのだろうが)、労働賃金の上昇と電気の開通により、様々な形のステンレス・タンクや人の足の裏を模倣したシリコン・パッドなど自動化された代替法の導入につながっている。

かつて地域労働者は辛い8時間を費やし急斜面の畑で収穫したのち、ワイナリーで4時間足踏みしていた時代は去ったが、最高品質のポートのごく一部は今も(たった)80の紫色に染まったべとつく足でつぶされている(これは時に、例えば日本のような潔癖な市場では動揺を招いてきた)。

190-3.jpg

労働力確保は今後さらに厳しくなる見通しで、ポートの技術者の中で最も力のある一人、ドウ、グラハム、ワレ、そして今はコックバーンの責任者であり、一族で最も現場を知っているチャールズ・シミントン(Charles Symington)は、ドウロでの機械収穫を試験的に始めている。地形は非常に急で変化に富み、その多くが狭い棚に作りこまれているため機械化には最も縁遠い場所だ。だが彼はドイツのモーゼル渓谷の急な畑のために作られた機械を見つけてきた。

唯一必要だった改造はリバースのギアだったそうだ。配当をすべて新しい畑につぎ込んでしまったシミントンの5人のいとこたちにとって、それは遅すぎた発見かもしれないが。

訪問してまで飲むべきポート

テイスティング・ノートも参照のこと。

瓶熟成ポート

Quinta do Noval 2014 (12本 £495、 Farr Vintners)
Quinta de Vargellas, Vinha Velha 2011 (1本 £245、 The Vintage Port Shop, Hampshire)
Dow 2011 (1本 £125、Soho Wine Supply)
Taylor’s 2000 (6本 £344.04、Berry Bros & Rudd)
Quinta do Vesúvio 1994 (1本 £53.59、Nethergate Wines)
Quinta de Vargellas 1987 (1本£79.95、The Vintage Port Shop)
Graham’s 1985 (1本 £60、Palmers Wine Store, Dorset)
Taylor’s 1977 (1本 £99、Four Walls Wine)
Quinta dos Malvedos 1965 (1本 £225、Cambridge Wine Merchants)

樽熟成ポート

Graham’s 1972 Single Harvest (1本£207、Hedonism)
Taylor’s 40 Year Old Tawny (1本 £98.98、Winedancer.com)

原文