ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

188-1.jpgこの記事のやや短いバージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。London’s great sherry tastingSherry galore でのテイスティング・ノートも参照のこと。

言うまでもなく世界で最も独特なワインであり、アンダルシアのヘレスの街周辺のボデガだけで、独自の方法で作られるシェリーの近年の逆境はイリノイ州ディアフィールドに始まったと言えるかもしれない。

そこはジム・ビーム・ウィスキーにちなんだ名のスピリッツの会社がある場所だ。2005年、このアメリカの会社はシェリーで最も有名な2社、ハーヴェイとドメックをたまたま所有することになった。そして、シェリー業界の観測筋のほとんどが、彼らはその扱いを間違ったと言っている。

縮小していく市場での可愛そうなシェリーはこの世界的に有名なスピリッツのブランドにとってある種企業間をたらいまわしにされるサッカーチームの位置づけであり、世界最大の飲料会社の役員室でその戦利品の中で最も価値のあるものとして捉えられていた利益の高く世界的に有名なスピリッツのブランドと比較して取るに足らない存在だったと言える。

ペドロ・ドメックは最も古いシェリーの名であり、ドメックはシェリーの貴族の街で最も高貴な名である。ドメックが1994年にアライド・ドメックを作るべくアライド・ライオンズへ売却された頃、その名は何年もの間フィナンシャル・タイムズのページを飾っていた。だが2005年、フランスの飲料会社ペルノー・リカールがアライドの最も利益の高かったスピリッツブランドを買収し、不要なものをディアジオとジム・ビームのオーナーに売り払った。ジム・ビームは当時フォーチュン・ブランドとして知られていたが、後にビーム・グローバルと名乗り、ここ2年はビーム・サントリーとして知られ、ディアフィールドにあるこの会社は東京のオーナーにペコペコと頭を下げている。

アメリカのウィスキー会社がほとんど偶然にも、その並はずれた力をこの小さなシェリーの街でふるうことになったのはこんないきさつだった。彼らはすぐに価値あるハーヴェイと同等のポート、コックバーンを売り払ったが、シェリーのボデガ、その主要ブランドとその在庫、そして何世代もかけて作り上げた何よりも大切なソレラは残した。

ところがどうしたことか、彼らはドメックの名前を使わず、それをペルノー・リカールに売り払ってしまった。また彼らはドメックの最も有名なブランドであり、ゴンザレス・ビアスのティオ・ペペと並んでスペイン中で最も愛されたフィノ(軽い辛口のシェリー)、ラ・イーナも売却することにした。ラ・イーナの現在の所有者はエミリオ・ルスタウで、時間と手間をかけ、ラ・イーナのソレラをヘレスの古い町にあるドメックから彼ら自身のボデガへ移設した。

おそらくディアフィールドでヘレスの宝だと考えられていたのはシェリーのベストセラーであり、糖分が添加され粘度の高いハーヴェイ・ブリストル・クリームなのだろう。淡い色で辛口の軽いシェリー、フィノやマンサニージャを好んで飲むヘレスの人々からすればクリームは救いがたいイギリス人の発明であるにも関わらず、である。

1970年代初頭、ブリストルにあるハーヴェイで当時ワイン商担当だったマーケティングの天才のおかげでハーヴェイ・ブリストル・クリームはイギリスだけで年間100万ケースを売り上げ、世界的にも高い評価を得た。当時までハーヴェイはシェリーの畑を所有しておらず、小さなボデガを一つ持っていただけで購入契約のみだったのだが、間違いなく、売るためのノウハウは持っていた。この取引のイギリスのワイン商側にいたのはワイン業界の中で最も尊敬を集める人物の一人であり、世界に名だたる名士、ハリー・ワフ(Harry Waugh)やマイケル・ブロードベント(Michael Broadbent)、そして多くの初期のMWを輩出することになった「母校」だった。このワイン界のユニリーバはブリストルの中心にある会社事務所に世界初となるワイン博物館を所有している一方でロンドンのクラブランドにある洗練された地所から紳士たちのセラーへワインを供給していた。写真にある1647年のシェリーの壺のレプリカもハーヴェイ・ワイン博物館のもので、20世紀半ばから終盤にかけてのこのブランドの良識を示すものと言える。当時彼らはあのエドワード・アーディゾーニにそのワイン・リストのイラストを発注していた。ジェーン・ハント(Jane Hunt)MWはかつてハーヴェイ全盛期にそこで働いていたが、上の写真はベネンシアドールに挑戦しているところだ。

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現在ハーヴェイ・ブリストル・クリームの売り上げはピーク時の四分の一ほどで、不安定ながらも伸びているシェリーのカテゴリーでは、エネルギーはすべて繊細で気まぐれな、主に辛口のワインに向けられている。ビームがシェリー市場へ貢献したことといえば、専門的にはシェリーと呼べないものの、ハーヴェイ・オレンジと呼ばれるフレーバー付きの商品を考案したことだろう。それだけだ。

ビームがヘレスで行った分別ある行動といえば、歴史的なドメックの建物を町はずれにあるハーヴェイの工業的なそれより尊重したことの他には、ドメック帝国の末裔であるベルトラン、有名な「鼻」と呼ばれるホセ・イグナシオ・ドメックの甥をワインづくりの責任者としたことだろう。この高貴な人物の監督の下、ハーヴェイが買収騒ぎに浮かれながらシェリーの拠点をブリストルからヘレスに移した際に取得した古いソレラは改良され、守られてきたのだ。私たちは今、そこから生み出される馬鹿々々しいほどに低い価格で、比較的新しく控えめなラベルを付けられたハーベイのVORSレベル、すなわち30年以上熟成したワインを買うことができる。これらの素晴らしいワインの在庫が再び一杯になる必要が生じるまでまだしばらくかかるだろうから、私はこの現状を利用しない手はないと言いたい。

ベルトラン・ドメックにとってこれらのワインを生み出すのはほろ苦い経験だったに違いない。その製品が、成り上がりとは言わないまでも(ジョン・ハーヴェイ・アンド・サンズは1796年操業だ)シェリーの世界で長きにわたるライバルだった名を冠することになるのだから。2012年、彼はシェリーの運営委員長に指名されたため、生産者に所属することはできなくなったが、彼は最後にハーヴェイで過ごした時期は正しかったと考えている。

昨年の末ごろ、安どのため息とともにビームはそのシェリー関連の所有権を売却することができた。今回もまたスピリッツに注力している会社へ、だ。美しく、次第に古さが価値を増すヘレスの街で現在ドメックのボデガを所有するのはアンドリュー・L・タン(Andrew L Tan)で、世界最大の売り上げを誇るブランデー、エンペラドールのオーナーでもある中国人だ。彼はフィリピンに拠点を置き、おそらく彼が最も強い興味を持っているのはスペインで最も人気の高いブランデーで、1985年にハーヴェイがテリー(Terry)とともに獲得した二つのボデガの一つ、フンダドール(Fundador)だろう。

現在、かつてのドメックのボデガはボデガ・フンダドールとしてブランド化され、かつてのハーヴェイのワイン博物館もブリストルからそこへ移管された。ベルトラン・ドメックはタン氏が歴史あるシェリー・ハウスであるガーヴェイ(Garvey)も買い取り、ヘレスの古い修道院を改修していることを喜んでいる。これはおそらく昨年40万人ものワイン観光客を受け入れた町への貢献の証ともいえよう。

奇妙なことだがイギリスでのハーヴェイのシェリーの販売代理店は今のところ、タン氏が4億3千万ポンドで2014年に買収したスコッチ・ウィスキーの会社であるホワイト&マッケイのチームだ。先月ロンドンで開催された包括的なシェリーのテイスティングでハーヴェイのシェリーを注いでいたのは、ダルモア醸造所のラグジュアリー・スペシャリスト・マネージャーだった。

シェリーこそは本当のワイン愛好家からもっと興味を持たれる資格があるワインだ。

素晴らしく熟成したシェリー

全て50clの瓶に入っており、価格は20~35ポンドだ。ハロッズやフォートナム・メイソンでも近日取り扱いを始める予定だ。

Harveys VORS 30 Year Old Fine Old Amontillado
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Harveys VORS 30 Year Old Palo Cortado
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(原文)