この記事の別バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。テイスティング・ノートはFine sake – the tasting notes を参照のこと。
ワインの知識のある誰もが、日本酒には少し腰が引ける。多くの米の品種があり、磨き方や水の質によっても異なり、言うまでもなく時間と温度管理などが加わる生産工程がワインよりはるかに複雑だからだ。さらに最高品質のものに至ってはその繊細さのため運送法に注意が必要だし、ほとんどの日本酒は発売されてから1年以内に飲むべきだ。多くの酒蔵の歴史の前では最も偉大なワイン帝国すら色あせて見える。私は唯一、2000年に奈良の酒蔵を訪問したのみだが、そこで私を迎えてくれたのはその酒蔵の47代目と48代目だった。
だから私は右も左も知らない小娘として真の日本酒専門家に畏怖を感じつつ、一方で先日の21種のプレミアム日本酒テイスティングでのワクワク感がまだ血管をめぐっているのを感じながら書いている。私は落ち着いた、言いようもなく純粋で透明感のある、平均して16%のアルコールをもつこの発酵生産物の微妙な違いに真の高揚感を覚えた。たとえそのラベルのほとんどが全く理解できない壁として立ちはだかったとしても。
2日前の夜、全くの偶然だったのだがニューヨークタイムズが「顔のないジャンルの顔。エレクトロニック・ダンスの世界における知性派」と評するミュージシャン、リッチー・ホゥティン(Richie Hawtin)に会った。ロンドンで彼のお気に入りの日本食レストラン、Umuで夕食を取りながら、私たちは彼がいま取り組んでいる、ヨーロッパとアメリカに輸出を行うエンター・サケ(ENTER.Sake)・プロジェクトの日本酒を飲んだ。この40代のカナダ人のいたずらっ子は、25年前公演で日本を訪れた際に日本酒に出会って以来、かの国の飲み物に完全に魅了されていた。彼はUmuのメニューから珍しい日本酒を次々と注文する手を休めず、日本人以外で唯一杜氏として認定されたイギリス人、フィリップ・ハーパーの作ったものと彼自身のものを比べるなどしていた。レストランを見渡して彼はがっかりしたようにこう述べた。「こういう場所ではワイン・リストを禁止すべきだね。」(そしてこの発言はオーナーのマーロン・アベラ(Marlon Abela)が寿司カウンターで赤ワインをすすっているのを見つける前のことだ。)
写真でもわかるように、ホゥティン、別名プラスティックマン(Plastikman)は2014年、日本の協議会である酒サムライによって5年にわたり外国人に日本酒の喜びを伝えた功績で酒サムライに叙任された。彼の音楽構想の純粋さと日本酒と日本文化の多くの側面の純粋さがぴったりはまったことに触発され、彼は英語で書かれたオリジナルのラベルを付けた複数の酒蔵による6種の日本酒をブルゴーニュの配送拠点に送り、ヨーロッパ中の多くのレストランや小売店に販売している。
日本の外で日本酒の福音を広めることに携わる多くの人同様、彼も日本の若手杜氏の新たな波に刺激を受けている。それは若手のワイン生産者とは異なり、匠の技に立ち戻るものだ。
日本での日本酒市場はゆっくりと縮小傾向にあるが、高級日本酒は売れている。全体として品質は上がっており、より多くの人が世界に日本酒を知ってほしいと考えるようになってきたようだ。
アドリエンヌ・. ソニエ・ブラッシュ(Adrienne Saunier-Blache)もブルゴーニュを拠点にし、彼女の日本人である母を称えるマダム・サケ(Madame Sake)を立ち上げた。彼女の曽祖父はフランスのワイン・ショップ、ニコラ(Nicolas)の創業者だ。彼女や多くの人たちのおかげで、日本酒販売者の網が行き届かない三ツ星シェフはほとんどいなくなった。
佐藤宣之は国際的な経済学者で最近ロンドンのチャタム・ハウス(Chatham House)に赴任した。彼こそが67ポール・モール・ワイン・クラブのメンバーのために刺激的な高級日本酒テイスティングを開催した人物だ。彼が興味津々のテイスターに向けて述べたように、日本人は日本酒を当たり前のものとして考えているが、最高品質のそれは高級ワイン愛好家の興味の対象に間違いなくなるはずだ。「ロンドンにはすでに多くの日本酒があるが、秀でたものは少ないのです。だからこのような教育の機会が必要です。」彼はきっぱりと述べた。
あるイギリスのインポーターは日本酒に真剣に取り組み始めた。元ソムリエでビベンダムPLB(Bibendum PLB)のジョシュア・バトラー(Joshua Butler)は3年前日本酒専門に転向し、顧客であるレストランなどへ向けてこう発信した。「これまで日本酒は日本の乾物などと一緒にイギリスに入ってきていました。」しかし彼はこう約束した。「これからは日本酒を、海苔を注文しなくてもメニューに載せることができます」と。67ポール・モールで開催されたイベントのスターは新澤の残響スーパー7だった。通りの向こうのレストラン、Novikovでは1本995ポンドでワイン・リストに載っている。米を350時間かけて7%まで(どうにかして)磨き上げて作られる。
この10年で日本酒の輸出は数量ベースで倍、価格ベースで3倍となっているものの、1000軒余りもある酒蔵、その中には非常に小さくて歴史のある酒蔵もあるのだが、それらで作られるたった3%でしかない。韓国、台湾、香港が主な輸入元だが、今日本料理と日本料理に触発されたレストランのあるアメリカこそが日本酒の人気が急激に上昇している場所だ。
先月アメリカのワイン教祖、ロバート・パーカーが2012年シンガポール人に売却したワイン・アドヴォケイトが今世紀初の日本酒の報告書を公開した。これは上海在住の中国人マスター・オブ・ワイン研修生のテイスティングに基づくもので、78種の日本酒が100点満点中90点以上を獲得した。これが新しく作られたウェブサイト、テイスト・オブ・サケ(Taste of Sake)で短期的な価格の高騰を招き、日本でワイン・アドヴォケイトの代表を務めるワイン・インポーターの関連会社による運営とわかり営業中止となった。
大橋健一はマスター・オブ・ワインであり2009年に日本で約50名しかいない認定日本酒鑑定士、マスター・オブ・サケであるというユニークな立場にある人物だ。彼は日本国内では日本酒専門小売店とワイン販売店の間に大きな溝があると指摘する(前者の多くはワイン・アドヴォケイトなど聞いたこともない)。そして日本酒審査の正式な規定はワインの審査のそれとは全く異なるという。例えば味わいの長さがワインの評価には重要だが日本酒の場合は必須ではない、などだ。
このことが、昨年世界的かつ第一線の教育機関であるWSETが開始した日本酒コースで教えることを非常に難しくしているに違いないが、その存在は日本の外で日本酒が大きく受け入れられるようになってきた証とも言えよう。リッチー・ホゥティンはロンドンでそのレベル3を受講中だが、そのレベルにはすでに世界中で495人が挑戦している。
インターナショナル・ワイン・チャレンジは10年前に日本酒を導入したが、当時この例年ロンドンで開催される巨大な審査会へのエントリーはたった200だった。今年大橋健一とその仲間の審査員は1283もの日本酒をテイスティングし、その中にはアメリカ、ノルウェー、カナダで醸造されたものも含まれていた。日本酒はまさに故郷を旅立ったのである。
ワイン愛好家が本当に感動した日本酒
旭酒造、獺祭 23
エンター・サケ 藤岡酒造、蒼空
エンター・サケ まつもと、守破離
初亀、 中汲み
平和酒蔵、紀土
新澤、残響スーパー7
(原文)