この記事の別バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されているtasting notes from Brunello Night 2も参照のこと。
トスカーナの最も偉大なワイン産地であるブルネッロ・ディ・モンタルチーノはこれまでジェットコースターのように目まぐるしい変化を遂げてきた。この10年で起こった変化は間違いなく良い方向に向かうそれだ。
1990年代、そこではあまりに多くのワイン生産者がナパ・ヴァレーのカベルネをお手本としていた。ワインは非常に濃い紫で攻撃的なほどアルコールが高く、甘く、樽が効きすぎていた。そしてブルネッロに使われているブドウ、生き生きとした透明感が魅力のキャンティを生み出すサンジョヴェーゼから生み出される味とはとても思えないものだった。
今、モンタルチーノの丘にある250あまりのワイン生産者たちはこの有名なブルネッロをサンジョヴェーゼのこの地の呼び名であるブルネッロだけから作るべきだという投票を行い、ワインの世界にはフレッシュなスタイルを好む風が吹いている。その中でブルネッロ・ディ・モンタルチーノはトスカーナの生き生きとした真のエッセンスを表現していると言えるだろう。このブルネッロの明るい輝きは小さなフレンチ・バリックの新樽で何層もの甘さを加えるのではなく、大型の古樽で熟成を行う手法が広く復活してきたことにも助けられている。
キャンティ・クラシコ、あるいはセルヴァピアーナ(Selvapiana)に代表されるその最高峰、キャンティ・ルフィーナは、短気でお買い得品を求める気質の人に向いているトスカーナの赤だ。キャンティ・クラシコの品質はかつてより良くなっているが、キャンティの丘はモンタルチーノ周辺の74平方マイルの産地よりはるかに冷涼だ。かつて、この冷涼さは大きく不利な点だった。成熟の遅いサンジョヴェーゼは多くの年にキャンティ・クラシコの高地で苦しみ、特に質の悪いクローンのサンジョヴェーゼが植えられている地域ではそれが顕著だった。
今日の世界ではトスカーナ南部の内陸部にあるモンタルチーノの暑い夏はけして貴重なものではなくなったが、畑の場所が適切でワインが正しく作られていれば、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは壮大かつフレッシュさも感じられるサンジョヴェーゼの唯一の例と言える。このワインはボトルの中で10年や20年、あるいはこの地区の守護聖人と言えるビオンディ・サンティのものならそれ以上の熟成が可能だ。ジャンフランコ・ソルデーラ(Gianfranco Soldera)は歯に衣着せぬ物言いの完璧主義者だが、1970年代にミラノからモンタルチーノに移り住んで以来、カーゼ・バッセ(Case Basse)で最高にピュアで熟成ポテンシャルの高いブルネッロを作っている。彼の1994ブルネッロ・リゼルヴァはようやく今になってその真価を発揮し始めたところだ。ブルネッロはセラーでの熟成に十分耐えうるイタリアのワインで、その価格はセラー熟成候補として有名なバローロに比べて一般的にやや手の届きやすい、35ポンド程度からだ。(もちろんビオンディ・サンティ、特にソルデーラは遥かに高価だが)
私はつい最近44本の上質なこれらワイン、最近リリースされたばかりの2012をテイスティングする喜ばしい機会に恵まれたのだが、感服した。凝縮感のある果実、タンニン、思いもよらぬほど高く保たれたフレッシュな酸の組み合わせが、8月の終わりに生産者がなすすべもなかったほど酷い干ばつに見舞われたヴィンテージのものというのだからなおさらだ。6月から8月の後半までモンタルチーノは暑さに焼かれていた。今はこの中世の丘の街に群がる旅行者たちも、当時は狭い路地に増えてきたエノテカでその熱をしのがざるを得なかったのだ。
その前の冬は非常に穏やかだったが、セスティ(Sesti)のような生産者たちは干ばつの起こりがちな夏をブドウが生き抜くためには、モンタルチーノでは珍しい冬の終わりごろの十分な降雪が必要だと信じている。それらはカラカラに乾いたトップソイルの上をすぐに流れてしまう急な雨と異なり、ゆっくり溶けて土壌にしみこむため、有用だと考えているためだ。それでも、2012年の乾燥した夏はブドウに大きなストレスを与え、多くの生産者は房の日焼けを防ぐ十分な葉を残すことに心を砕いた。この点が最近暖かくなってきた地域の畑で次第に頻度を増してきた問題点だ。
このような干ばつの環境下で夏の光合成はカタツムリのように遅かったのだが、8月の終わりに息を吹き返させる雨が降り、特に天候の良かった9月にはより好都合な雨も降り、比較的遅い収穫に向けて果実とフェノリックの成熟が順調に進むこととなった。やや涼しい9月の夜は舌鼓を打つほどの酸を残し、私がテイスティングした2012は熟成の可能性を大いに持っているように感じられた。ただ、夏の干ばつによって果粒は小さくなり凝縮感は得られたものの、地域全体の収量はかつてないほど低かった。
アルコール度数は(温暖なモンタルチーノで低くなることはないが)ポッジョ・ディ・ソット(Poggio di Sotto)と当時創成期だったビオンディ・サンティ2012のラベルには13.5%とあったものの通常は14から14.5%で、この地域の遥か南東部に位置するカステルヌオヴォ・デル・アバーテの凝縮感のあるダイナミックなマストロヤンニ(Mastrojanni)2012は15%だった。
ちょうど2012の収穫が行われている頃出版された「Brunello di Montalcino – Understanding and Appreciating One of Italy’s Greatest Wines」の著者であるケリン・オキーフ(Kerin O’Keefe)や、我らがイタリア・ワイン専門家、ウォルター・スペラー(上の写真でBrunello Night 2でテイスターに語りかけている)などの識者たちは、そろそろブルネッロ・ディ・モンタルチーノでサブゾーンを指定する時期に来ているのではとの議論を重ねてきた。おおよそ規模の大きい順に、ウォルターが「発展的議論への挑発」と呼んで提案する地域はコムーネ・ディ・モンタルチーノ(Comune di Montalcino)、モンタルチーノ・ノルド(Montalcino Nord)、モントゾリ(Montosoli)、モンタルチーノ・スッド(Montalcino Sud)、ポデルノーヴィ(Podernovi)、タヴェルネッレ(Tavernelle)、カミリアーノ(Camigliano)、サンタンジェロ(Sant’Angelo)、カステルヌオヴォ・デル・アバーテだ。
生産者の組合であるコンソルツィオはサブゾーンの制定を求める声を聞きつつ(最近はビオンディ・サンティも支持を表明した)、場所によってはその制定によって不利をこうむることを恐れる生産者をなだめつつで板挟みだ。これほど大きな地域では場所によって大きな違いが生まれる。土壌、地形、斜面、そして特に、標高だ。例えばソルデーラの所有する畑はタヴェルネッレの南部、標高320メートル、南西向きの斜面にあり理想的だ。これ以上標高が高くなるとサンジョヴェーゼが完熟しない。一方でフリーニ(Fuligni)のワインはよりデリケートと評されるが、モンタルチーノ・ノルドの標高400メートルの恩恵を受けている。このような地形がモンタルチーノで大きな意味を持つようになった理由の一つは単一畑のワインが多く作られるようになったことにあるのだろう。それらは文末の一覧で名前にコンマが含まれるものだ。
一つ確かなことがある。モンタルチーノには常に変革の風が吹き付けている。1970年代後半、ワイン生産者の作るコンルツィオのメンバーはたった20人ほどしかおらず、ほとんど忘れ去れたトスカーナの一角で活動していた。1980年代初頭、ソルデーラが自身の道を切り開き進んでいた時代について彼の息子で今はミラノで弁護士をしているマウロは「モンタルチーノは貧しすぎました。」と話した。「でも1980年代後半からワイン生産者たちがそこで金持ちになるのが容易になりましたね。」
お気に入りの 2012 ブルネッロ
最近テイスティングした44本の中でもお気に入りを以下に記す。
L’Aietta
Baccinetti, Saporoia
Baricci, Colombaio Montosoli
Biondi Santi
Caparzo, La Casa
Canalicchio di Franco Pacenti
Canalicchio di Sopra
Castello Romitorio, Filo di Seta
Le Chiuse
Fuligni
La Magia
Mastrojanni
Padelletti
Poggio Antico, Altero
Poggio di Sotto
Il Poggione
Villa Poggio Salvi, Pomona
(原文)