ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

234-1.jpgこの記事のショート・バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。

1980年代後半にレディング大学でフランス語を勉強していた頃、ジェーン・パウエルは非常に快活でフランス好きな酒豪で、シャンパーニュ・ジェーンとして知られていた。15歳の少女はたった一度の旅行でフランスへの愛に火が付き、繊細なフランス訛りを身につけ、シャンパーニュへの愛情を育んだ。

ロンドンで出版業界に勤め、シャンパーニュに関連した多くの企業イベントを主催したのち、1999年に彼女はオーストラリアへ渡ることを決めた。もっとも、当時オーストラリアで入手できるシャンパーニュの幅の狭さに不安はあったようだ。2003年、彼女は企業イベントのコンサルタント会社であるワイン・アット・ワークを設立、サザビーズのセレナ・サトクリフ(Serena Sutcliffe)がロンドンで開催した同様のイベントに触発され、最初のシャンパーニュ・マスタークラスを2004年にシドニーで開催した。(彼女はシドニーとイギリスを、とりわけウェールズに住む母親に会うために繰り返している)

同様な活動をしている誰よりも早く、ソーシャル・メディアがワインと自身のプロモーションにいかに有効か気づいた彼女はツイッターとウェブサイトを立ち上げ、シャンパーニュ・ジェーンと名乗ることにした。2009年までに彼女は ワインとソーシャル・メディアの相乗効果に関するレクチャーも行っている。同じ年、彼女はシャンパーニュ・ジェーンをオーストラリアで屋号として登録した。

3年後、おそらくシャンパーニュに関する本が前年グルマン世界料理本大賞を(出版社でありのちに共著者となった人物といさかいになったものの)受賞したことに勢いを得たのだろう、オーストラリアのエンターテイメント部門でシャンパーニュ・ジェーンの商標出願も行った。

ところがそのあと立て続けに不可解な出来事が起こる。2012年9月8日、彼女はシャンパーニュ騎士団の称号を授与された。彼女のウェブサイトには彼女が真新しいメダルを太い緑のリボンで首から下げピエール・エマニュエル・テタンジェと抱擁しながら微笑んでいる写真が掲載されている(もう一枚はジョージ・クルーニーとのもので、話せば長くなるが彼女の一貫性をより明確に示すものと言える)。その後2か月も経たないうちに彼女はCIVC、シャンパーニュの公的機関からこれ以上ないほど厳しい、シャンパーニュ・ジェーンの登録商標に対する異議申し立て文書を受け取ったのである。

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CIVCの弁護士たちはワインの世界で最も活動的だ。シャンパーニュの名をシャンパーニュという地域で作られたスパークリングワインだけに限定する活動は伝説的とも言えるし、概して成功も収めている。カジュアルな消費者がどんなスパークリングでもシャンパーニュと呼ぶことは許されるものの、CIVCの弁護士たちはシャンパーニュという単語を使って商品を販売しようとしていればベイビーシャムやスペインのスパークリングはもとより香水やタバコのブランドさえも猟犬のように見つけ出す。彼らの努力もあり、かつてシャンパーニュという名があらゆる古いスパークリングワインに商業的に使われていた米国ですら、現在ではシャンパーニュで作られたスパークリングワインと一握りの歴史あるアメリカのスパークリングワインのブランドにのみ使うことができると正式に定められている。

これら訴訟に関わった全ての大企業は服従せざるを得ない状況になったのだが、個人業者であるジェーン・パウエルは強硬、少なくとも頑固な姿勢を取っていた。CIVCが強く出れば出るほど、彼女は自分の主張に固執した。彼女の主張は、彼女はその名を12年にわたり使用し続けており、シャンパーニュの活動的な大使でもあり、他にもシャンパーニュという言葉を含む商標(やツイッターの名称)はある、というものだった。

だがシャンパーニュ人たちはそれに納得しなかった。とりわけ彼女のコメントがシャンパーニュに限定されていないことが理由だった。弁護士たちは彼女の合計21,000件に及ぶ彼女のツイートのうち、84件がシャンパーニュ以外のスパークリングについて述べていることを見つけ出したのである。ジェーン・パウエルが自身の屋号を守るために戦うことに固執したためパートナーと別れることになった直後の2014年6月にCIVCのイギリスの弁護団が送った書状には彼女のウェブサイトで4件イギリスのスパークリングについて触れており、フェイスブックでは3件見つかったとも書かれていたそうだ。この離婚のおかげで彼女の弁護費用が賄えた部分があったそうだが、その騒動はひどく高くつき、抗不安薬に頼らなくてはならなくなったそうだ。この騒動が彼女の母(ロンドンでの7時間に及ぶ朝廷に同席していた)にどんな影響を及ぼしたのかと尋ねると、彼女は目に涙をためた。彼女は一人っ子だ。

ずいぶん前からそうしたいと考えていたので、最近彼女がロンドンに滞在していた際、莫大な裁判費用と長期化する争いに伴って仕事もあきらめなくてはならない状態にもかかわらず、なぜこの争いを続けたのか尋ねてみた。彼女はこう答えた。「もし私があきらめたら、みんなは私がなにか悪いことをしたのだと捉えます。私は離婚して、仕事もなく、複数の訴訟のためにお金もありません。でも、彼ら私を責めるべきではないのです。私は自分に言い聞かせています。失うものは何もない、だからすべてをさらけ出す、とね。」

2013年以降、彼女はCIVCとその弁護士チームが雇ったメルボルンの高名な商標弁護士との容赦ない戦いにかかりっきりとなる。彼らは彼女の商標利用に異議を唱えただけでなく、2013年のクリスマス直前、彼女がイギリスの全国放送、ITVのディス・モーニングに出演しクリスマスのためのシャンパーニュを紹介する機会を得て本人も母親も喜んでいた矢先、連邦裁判所への訴えを起こした。

彼女はなんとか少なくとも2組の弁護士を無料で彼女の代理人となってくれるよう説得したが、証人が体験する悪夢のように、彼女に対する疑問を投げかけられ続けた。最初の弁護士は訴訟を取り下げ、彼女を訴えた。2014年までに彼女の新しい弁護士は相手側から週3通の書状を受け取ることになった。「書類仕事がどんどん増えました」彼女は自分の肩の高さを手で示した。

連邦裁判所での審理は2014年の年末に行われ、調停が指示されて徒労に終わった。98ページに及ぶ判決は2015年10月に届けられた。裁判官は両者の言い分は一部認められるとし、自身の費用はそれぞれが負担するように、パウエルはシャンパーニュ大使ではなくシャンパーニュ支持者と名乗るべきだとした。

明らかにジェーン同様むきになったと見えるCIVCは、彼女のシャンパーニュ・ジェーンという商標権に対しまたしても立ち上がり、最後の訴えが昨年末に提出された。今年の4月4日、彼女は その訴訟の種となった名称を使うことを許すという判決が下りた。裁判官は彼自身最も記憶に残る見解として、バッファロー・ビルが 興行を行う際、観客はバイソン以外何も目にしないなどと考えることはまずありえない点を指摘した。シャンパーニュ・ジェーンは今後もシャンパーニュ以外のスパークリングワインについて触れることも許されたが、その商標は5年後に再登録をするよう指示された。

表向きはダビデとゴリアテの戦いのように見えたが、今回のダビデはプロの広報家だ。彼女は世界中のワイン・ライターが彼女の戦いと、彼女が自分の弁護費用を負担しなくてはならない事実を知るように仕向けた。彼女が純粋にただのワイン・ライターだったら、もしかしたら同業者はもっと早く彼女を助けていたのではなかろうかと思わずにいられない。報道することと販売促進をすることを分けると言う意味で理論上は少なくとも正反対の側にいる人間からすると、彼女はオーストラリアのワイン出版業界からほとんど無視されていたと言える。オーストラリアのスパークリングワインの生産者たちは彼女と親交を結ばないよう警告されてきた。彼女自身、その勝利の際にはイギリスのワイン・メディアからいくつかの肯定的なツイートが届いたものの、オーストラリアではのけ者だと感じていたそうだ。

では、次の彼女の計画はなんだろう?「シャンパーニュと世界最高のスパークリングワインについての教育を続けます。それからブランドと小規模事業のマネージメント学もね。」彼女はまた、おそらく必然的と言えようが、ニューサウスウェールズ大学で法律とメディア・ジャーナリズム学の修士課程で知的財産を専攻することにしたそうだ。

ジェーン・パウエルのことを思ったとき大胆不敵という単語がすぐに思いついた。CIVCのオーストラリアでの販売促進事業は現在のところ当然ながら空席だ。彼女は自分こそが完璧な適任者だと考えている。

最近特に美味しいシャンパーニュ
これらはたまたま最近テイスティングしたものだ。ジュリアとタムのテイスティング・ノートも補完されたAssorted posh champagnesでのテイスティング・ノートも参照のこと。

Billecart Salmon, Blanc de Blancs 2004, Blanc de Blancs Grand Cru NV, Cuvée Nicolas Billecart 2002
Bollinger, La Grande Année 2005
Dom Pérignon 2009, 2003, P2 Plénitude 2000, Rosé 2005
Egly-Ouriet 2003
Philippe Gonet, Blanc de Blancs Grand Cru 2009, TER Noir NV
Jacquesson, Cuvée 740 Extra Brut
Louis Roederer 2004
Pommery, Cuvée Louise 2002

ロゼ

Billecart Salmon, Cuvée Elisabeth Salmon 2006
Dom Pérignon 2005
Dom Ruinart 2004
Charles Heidsieck 2006
Lanson, Noble Cuvée NV

(原文)