この記事の別バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。
ボルドーと言えば赤ですよね?と言われるが、それほど遠くない昔ボルドーは赤ワインよりも白ワインを多く生産していた時代があった。そして人生を辛口のボルドー白にかけた男がいた。アンドレ・リュルトン、92歳。かつて自分のことを「一度尻にかみついたら絶対に離さない犬」と例えた人物だ。
彼の粘り強さが生み出した結果が今年30周年を迎える。リュルトンの業績は、ペサック・レオニャンというアペラシオンを作り出し、ボルドー市南部に位置するグラーヴという古い地域の中で最高のワインを区別したことだ。リュルトンはペサック・レオニャンにある白ワイン用の畑の第一線を行く所有者であり、その面積は合わせて70ヘクタールになる。ジャックとフランソワという、彼の後を追ってワインの世界に飛び込み今や著名な二人を含む7人の子供を儲けると同時に、ペサック・レオニャンにシャトー・クーアン・リュルトン、 ド・クリュゾー、ラ・ルーヴィエール、ド・ロシュモランなどを、自分の出身地であるアントル・ドゥ・メールにはシャトー・ボネを所有、白ワインの帝国を築き上げた。この地は辛口のボルドー白の輸出の3本に1本は彼のワインであるという歴史的な砦とも言える。
当然のことながら白ワインの学術的な専門家である故ドゥニ・デュブルデューのアドバイスも受け、今やリュルトンはボルドーの白ワインの王と呼ばれているが、彼はソーヴィニヨン・ブランに傾倒し、自身のペサック・レオニャンにはボルドーのもう一つの有名品種であるセミヨンを使わない。明確な酸と射貫くようなアロマを持つソーヴィニヨン・ブランは年々暑くなるボルドーの夏にもよく耐えるが、私個人としては他の多くのペサック・レオニャンでソーヴィニヨン・ブランとブレンドされる、ワックスのような質感が特徴的でフル・ボディに近いセミヨンの性質にも慈しみを覚える。かつてリュルトンから完ぺきに熟したヴィンテージのクーアン・リュルトンをブラインドで供され、セミヨンが入っていると思うかと詰問されたことがある。彼は私が熟成したソーヴィニヨン・ブランをセミヨンと思ったのを目にすると喜びに笑い出さんばかりだった。最近のDNS解析によるとこれら二つの品種は遺伝子的には非常に近く、未成熟な若いセミヨンは惑わされるほどにソーヴィニヨン・ブランのような味がすることもあることがわかっている。
さて、ペサック・レオニャンのソーヴィニヨン・ブランはニュージーランドのソーヴィニヨン・ブランのような味はしない。ロワールのサンセールやプイィ・フュメのソーヴィニヨンよりもっと低音域で甘みもなく、密度が高く、食べ物との相性が良く、時に樽が強い。ロワールのソーヴィニヨン・ブランと違い、マールボロのソーヴィニヨン・ブランとも全く異なり、ペサック・レオニャンの辛口の白は何十年も熟成する。リュルトンの白のペサック・レオニャンのバックラベルには他ではあまり見ない細かな表現として、「このワインのピークは3~10年だが、20~30年は熟成に耐えうる」との記載がある。
最近行った2件のテイスティングでは、上質な白のボルドーが実際多くの白のブルゴーニュよりも長期熟成に向いていることが示された。最近リュルトンを訪問したロンドンの小売業者シアター・オブ・ワイン(Theatre of Wine)のスタッフは、膨大な数の白ワインが古いものでは今世紀初めにさかのぼるものまで、そのほとんどが素晴らしい状態で保管されていることに驚いた。その彼らが最近になってそれらワインを自分たちの顧客に紹介したのが、アンドレ・リュルトンの技術責任者で1991年ラ・ルーヴィエール(La Louvière)に着任したヴァンサン・クルージュ(Vincent Creuge)によるマスター・クラスの後に行われたテイスティングだった。上の写真はソーホーにあるレストラン、アンドリュー・エドマンドでマスター・クラスの直前に撮影されたものだ。
クルージュはさらにアンティークな辛口の白も持参していた。1967クーアン・リュルトンのマグナムは当時まだくたびれた建物だったリュルトンのファースト・ヴィンテージだったし、ラ・ルーヴィエールの1986もマグナムだった。1967は素晴らしい状態で、これまで私がテイスティングした中でおそらく最高の1967の辛口白と言える。一方、1986のマグナムが両方とも救いがたいほどTCA、すなわち欠陥コルクに由来するかび臭さの原因物質に汚染されていると知るや、クルージュは明らかに残念そうな表情を見せた。「私がどれほど残念に感じているか、誰にもわからないと思います。」彼は嘆いた。「最高のワインを作ったにも関わらず、最終的にコルクに問題があったとなるとね。」
似たような経験がもとで、リュルトンは2003年に勇気ある一歩を踏み出すこととし、間違いなくTCAのない栓、スクリューキャップを一部の白ワインに導入した。だが、それはリュルトンの顧客にはそれほど受けが良くなかったようで、シアター・オブ・ワインのダニエル・イルズリー(Daniel Illsle)は、(スクリューキャップの)白のオールド・ヴィンテージの在庫がこれまでにないほど多い理由だと考えている。
2013年、かみついたら離さない男はスクリューキャップをあきらめ、TCA汚染がないとして販売されている比較的新しいDIAMの、酸素透過性が異なる2種類のコルクを採用した。彼はポルトガルのコルクを主体とした方を若いうちに飲まれるワインに使い、サルデーニャのコルクを主体とした方を熟成される可能性の高いワインに使っている。「でもこのことは販売チームには話していません。」クルージュは打ち明けた。「複雑すぎますからね。」
私のお薦めからもわかるように、今世紀初めのリュルトンのペサック・レオニャンは概して、品質という意味でも熟成の可能性という意味でも印象に残るものであり、スクリューキャップのものはコルクのものよりその熟成の進行はゆっくりだった。一方、温暖化や新しい醸造技術などの影響で、ボルドー白の熟成が早まるのではとも考えている。
我々の多くにとって、シャトー・ラヴィル・オーブリオンはボルドー白の典型だった。カリフォルニア大学デイヴィス校の勤勉な司書が掘り出した、1987年に私が参加したラヴィルのテイスティングの記録によると、1934、1945、1948、1950のヴィンテージは当時美しく成熟していた。だが今日作られているワインが半世紀も持つとは思えない。最も洗練された白のボルドー、例えばシャトー・オーブリオン・ブランやシャトー・ラ・ミッション・オーブリオン・ブラン(ラヴィル・オーブリオンから名称変更)ですら通常の10年程度で完全に成熟すると考えられる。
この1987年のノートにはこれらワインに使われたブドウが9月の終わりに収穫されたと書かれていた。最近はというと、オーブリオンのチームは8月に収穫するのが常で、十分な酸を残すのに苦心している。価格も変わってきている。私のメモによるとプリムールに初めて提供されたヴィンテージである1979は1本53フラン(現在の約8ユーロに相当)で、同シャトーの赤も同じ価格だ。2016は400ユーロである。
もう一つの大きく異なる点は使用される硫黄の量が現在の方がはるかに少ないことだ。これは喘息のため悪い影響を受ける人もいることや、若いうちはワインの色が褪せ、アロマが弱まってしまうことを鑑みると、褒めるべきことと言える。しかし、硫黄はワインの寿命を長くするものでもある。最近の最も洗練されたテイスティングでディナーと共に供された1960年代の白のボルドーは豪奢で刺激的で、今世紀に入ってからの丸く、柔らかく、尊大な(しかもラヴィル・オーブリオン2004は酸化していた)ワインとは全く異なる代物だった。
これは食前に虚しくすするのではなく、白のブルゴーニュのように食事と共に楽しむために作られた、ユニークで本格的なスタイルのワインであると言える。
傑出したペサック・レオニャンの白ワイン
これらは最近テイスティングしたものだ。
Ch Laville Haut-Brion 1961, 1966, 1972, 1983
Ch Haut-Brion Blanc 1992, 1999
Domaine de Chevalier 1983
Ch Couhins-Lurton 2004 (£29 Theatre of Wine), 2005, 2008, 2009, 2015
Ch La Louvière 1998, 2004, 2006, 2009, 2011, 2012
テイスティング・ノートとしてはGetting André Lurton out of the closetを参照のこと。
(原文)