フランスでワインを造るのが夢?ロンドンにあるザ・サンプラーのジェイミー・ハッチンソンはフランスのお役所仕事こそが越えなければならない大きな壁だと言うことに気づいた。写真は彼の前に立ちはだかる書類のほんの一部であり、この記事の別バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。
10年前、ジェイミーとジェシカのハッチンソン夫妻はたまたまバイヨンヌの生ハム祭りの会場にいた。バスクの衣装に身を包み、牛から身をかわし、豚肉製品を腹に収めるためだけのこのお祭りがあまりに気に入った彼らは、イギリスでのワイン業界でのキャリアを捨てこのフランス南西部の片隅に落ち着くことにした。
ジェイミーはザ・サンプラーの創設者で、現在ロンドンにある3店舗は本格的なワイン愛好家が世界で最も優れたワインに出合うことのできる場所だ。彼はまだその3店舗目を所有しており、彼の独立系ワイン商としての経験はジェシカがヴィンディペンデンツ(Vindependents)を立ち上げる際に大きな力となった。ヴィンディペンデンツはイギリスの約40近い独立系ワイン商のための購買グループで、スーパーマーケットなどから価格の引き下げの圧力を受けないルートを確立するという理想の下に作られた。
結果として2014年、ジェシカはピレネー・アトランティックにあるインターネットの接続環境のない小さな借家で2歳の娘と共にこの複雑な買い付けおよび発送を行う組織を立ち上げることとなった。ここ数年に彼らが出くわしたフランスのお役所仕事について述べる段になると、当時ロンドンにいたジェイミーはそれを「手助けしていただけだ」と遠慮気味に言い添えた。
彼らはようやく瓶詰めまでこぎつけ、リリースすることになった初めてのワインをロンドンまでやってきて紹介した。それは2018のプティ・マンサン・セックで最も近いアペラシオンがジュランソンである2軒の生産者から買い付けたブドウで作ったものだ。アペラシオン内で瓶詰めをせず、(下の写真のように)庭先に横付けした可動式の瓶詰め機で行っているため、それをジュランソンと呼ぶことはできない。その庭のある家もまた、ビアリッツとルルドの間にあるオードックス(Audaux)という小さな村にようやく買うことができたものだ。だが、これはワイン生産者になるための物語としてはかなり終盤にあたる。
彼らは当初から、ブドウも育てたいし、ワインの買い付けもしたいと考えていたが、それこそがトラブルの始まりだった。これは農企業であるEARLと営利企業であるSARLの両方を立ち上げなくてはならないことを意味した。EARLを立ち上げ土地を購入(さらに彼らが後に知ることになる他のあれこれも)するために銀行が彼らに求めたのは農業系の健康保険MSAに加入することだった。ところがMSAに加入するには土地を所有している必要があるという。
このジレンマのおかげで彼らが銀行口座を開くまでに1年を要し、赤ワイン用ブドウの栽培に適していると判断した、50年間一度もブドウが植えられたことのない斜面にある(下写真参照)1ヘクタールの土地を購入するためにイギリスの自己資金を使わなくてはならなかった。ようやくMSAに加入に行くと、今度は加入に必要な土地の最小面積は5.5ヘクタールであり、まったく不足していると告げられた。「エスプリット(トウガラシ)の畑なら3分の1ヘクタールでよかったのに」とジェシカはこの地元産のトウガラシの最低必要面積を引用して苦い顔をした。
MSAは本当に彼らが1ヘクタールしか所有していないのかを確認するためにわざわざ職員を2人も送ってよこした。彼らは代替の保健機関としてRSIをすすめられたが、RSIでは農家なのだからMSAに加入するようにと言われ断られた。
土地を購入するのもまた時間が掛かるプロセスだった。フランスの(賞賛すべき)SAFERは土地を売却できるのは地元の若手農家が誰も購入を希望しなかった場合のみ、と定めているためだ。そのためハッチンソン夫妻が家の脇にある急斜面を購入できたのはようやく2017年になってのことだ。あの奇妙なMSAに加入できていれば、彼らは恐らく自分たち自身が必要に迫られた若いヴィニュロンと名乗ることができたかもしれないのに、だ。その代わり、SAFERの手続きを早めるために余分な出費を迫られることとなった。
次に彼らは植樹権を手にしなくてはならなかった。これはヨーロッパのワイン・レイク(訳注;ワインの生産過剰状態)を解決するために2007年にEUで導入された特別措置によって厳しく規制されているもので、承認申請は年に一度、5月の4週間だけだ。これに応募するためには別の番号が必要で、こちらは税関から与えられるものだ。そこでジェイミーとジェシカはその番号を取得するためポーへ向かったのだが、またしても、事はそう単純ではなかった。税関では職員が地図を取り出し、彼らの畑の場所を確認すると鼻で笑った(ハッチンソンは最も近いアペラシオンであるジュランソンの境界から約10マイル外側に住んでいる)。結局、税関で4時間をかけて彼らが得た情報は植樹権のウェブサイトへのログイン方法と、そのログインに必要な詳細は後日郵送されると言う事実だけだった。
税関職員が、調査のために犬と手錠を携えた彼の同僚が訪問する可能性があるとし、その調査の間夫妻は隅で静かに立っていなくてはならないと話したので彼らは思わず笑ったが、その職員は笑っていなかったそうだ。
ようやくその貴重なログイン情報を受け取ると、そこには植樹権をウェブサイトで申請するためにCVI番号が必要だと書かれていた。ジェシカが「お気に入りの」税関職員に電話をしてなぜあの時にCVI番号を交付してくれなったのか尋ねたところ、答えは単純だった。それは彼の仕事ではなく、1つ下の階の担当者のものだからだそうだ。
それに続いて彼らが知ったのは彼らの所有する両方の会社にCVIが必要であることだったが、なんとか応募をし、植樹権を得るところまでたどりついた。ところが一難去ってまた一難だ。植樹の申込書には自分が造るアペラシオンがどこになるのか知る必要があった。ハッチンソンのように複雑な状況ではこの点が困難だ。
現時点で植えようと決めたシラーに彼らが使おうと考えているのはIGPコンテ・トロザンで、上述のプティ・マンサン・セックに使っているのと同じものだ。AOCから1ランク下がった地元のIGPという位置づけだ。不幸なことに、この名は100マイルも離れたバスクとは何の関係もない街にちなんでつけられているものだが、ハッチンソン夫妻はその代替となる地理的な規定のないヴァン・ド・フランスはごまかしているような気がしてためらった。これには少なからず、彼らが村人たちから受けた歓迎の温かさを忘れられないためという理由もあった。彼らはこのオードックスの名をもっと知られるようにしたいと考えているためだ。「最終的にはオードックス自体でアぺラシオンを取得したいと考えています」ジェシカはそう話した。だが彼女がそれに必要とされる長期的な書類仕事に耐えられるかどうかは別の話だろう。
植樹権の付与に伴い、農薬の購入、保管、利用に関する2日間の研修に参加する義務もついてくる。たとえハッチンソン夫妻は有機栽培で認可されているボルドー液しか使う予定がなくても関係がない。
植樹権は8月18日に交付されるため、台木と穂木の組み合わせを特注で行いたい場合、交付されてから発注しても必要な春の植樹には間に合わない。しかし幸運なことに彼らの求めていた組み合わせはすでに育苗商にあった。畑を準備するため、木を何本か切り倒すためにチェーンソーを購入しなくてはならなかったとジェシカが話すと、「いやあ、なんとか生きてますよ」とジェイミーは控え目に話した。
ようやく畑の準備が整うと、2200本のシラーが届けられ、71歳の地元のベテランと3人の若者が7時間をかけて今年の6月に植え付けを行った。そこでジェシカはひらめいた。彼女は例の税関に電話をかけ、彼らがもう畑に植え付けを行ったと先手を打って伝えたのだ。彼らは植樹届を事前に出さなくてはならなかったのだが、間違いなく、その点について詳細な説明を一切受けていなかったからだ。おかげで彼女は処罰から逃れることができ、今は2022年に自分たちの初めての赤ワインができるのを楽しみにしている。「税関では私の名前は知られているでしょうね」彼女は笑った。かつてブルゴーニュのブローカーとしてやり手だった彼女の経験はフランス人に対しても役に立ったのだ。
プティ・マンサン・セックの生産に先立ち、彼らの営利企業は税金の前金として34ユーロを用意しなくてはならなかった。2400本のワインに対する最終的な税金の合計は75ユーロであり、フランスではワイン税が非常に安いことがわかる。
ところが、この辛口の白ワインを発売する前に、またしてもハードルが現れた。公的なテイスティングの義務だ。IGPコンテ・トロザンの規則ではワインはアロマティックで、フローラルでフルーティでなくてはならないと定められている。だがハッチンソン夫妻は元々抽出効率が良く酸の高い地元品種であるプティ・マンサンのポテンシャルに敬意を表し、完全に熟してから収穫し、大好きな白のブルゴーニュのように樽で発酵させて造っている(このときは上質なボルドーのシャトーから取り寄せた樽を使った)。彼らのファースト・ヴィンテージである2018のアルコール度数はIGPの上限である15%に危険なまでに近い14.7%だった。そのためワインは公的に求められるスタイルにとても近いとは言えなかったが、すれすれのところでテイスティングを通過することができた。
彼らの醸造法に由来する揮発酸の高さもまた懸念事項だ。公的な上限を超えてしまうと、彼らは自分たちのワインを回収して工業用アルコールに蒸留する業者に金を払わねばならなくなる。却下されたものは飲用にはできないのだ。
フランスのお役所が大きな壁として立ちはだかっていた一方、現在2人の娘と、同居する祖母のいるハッチンソン家は近隣への熱い気持ちに溢れている。彼らの子供が地元の学校へ行くことになるだろうとわかった時、彼らはとにかく地元に完全に溶け込んだ。そしてプティ・マンサンの仕分けを手伝ってもらう(下の写真参照)お返しに、と村中の人を招いて豪華な宴を催した。彼らは、村中の人が同じ席に着いたのは畑の機械化が導入されて以降初めてのことだと聞かされたそうだ。
一方でちょっとした文化的衝突もあった。ハッチンソン家では優れたプティ・マンサンを辛口のワインに使うが、ジュランソンの生産者は地元で遥かに尊重される甘口のモワルーにそれを使い、辛口にはあまり面白みのないグロ・マンサンを使うのだ。ジェイミーが甘口のジュランソンはイギリスでは売りにくいと説明すると、彼の隣人は戸惑いながらこう尋ねた。「じゃあイギリス人はフォアグラと一緒に何を飲むんだい?」
お気に入りの辛口プティ・マンサン
ジュランソンはプティ・マンサンの最後の砦だが、その明らかに高い品質が知られるところとなり、遥かに広い範囲で栽培されるようになってきた。熟成のポテンシャルも非常に高い。以下の例は今後まだまだ盛り上がるだろう。
Ch Lapuyade, Dentelle 2015 Jurançon Sec
Clos Lapeyre, Evidéncia 2015 and 2014 Jurançon Sec
Cauhapé, Geyser 2016 Jurançon Sec
Domaine de Souch 2009 Jurançon Sec
Cabidos, Comte Philippe de Nazelle Petit Manseng Sec 2009 IGP Comté Tolosan
Domane d’Audaux Petit Manseng Sec 2018 IGP Comté Tolosan
Horton Petit Manseng 2014 and 2016 Orange County, Virginia
Michael Shaps Petit Manseng 2016 Virginia
Domaine Franco-Chinois Petit Manseng 2014 Hebei, China
Topper’s Mountain, Barrel Ferment Petit Manseng 2013 and 2011 New England, Australia
Churton Petit Manseng 2015 and 2013 Marlborough, New Zealand
これらのワインに関するテイスティング・ノートはデータベースを参照のこと。取扱業者やこれらより若いヴィンテージについてはWine-Searcher.comにて。
(原文)