ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

323.jpg気持ちの変化とスタイルの変化は時代と共に。この記事のショート・バージョンはフィナンシャル・グループにも掲載されている。Giodo – elegant Brunello and Nerelloも参照のこと。

フィレンツェのカルロ・フェッリーニ65歳は最も祝福された、イタリアのワイン・シーンで精力的に活動しているワイン・コンサルタントの一人であり、最も有名な人物と言えるかもしれない。ワインメーカー・オブ・ザ・イヤーも3回受賞している。20世紀後半にはミスター・メルローとして知られ、トスカーナ固有の品種であり骨ばった骨格になりがちだという理由で悪名の高かったサンジョヴェーゼにこの柔らかなフランスの品種をブレンドして肉付きを与えることを推奨した人物だ。

この点について最近になって言及すると、彼は柔らかな物腰で実はメルローよりもそのボルドー・ブレンドにおけるパートナーであるカベルネ・ソーヴィニヨンの方が好きなのだと話した。だが、自身の与えてきたアドバイスについてはこう補足した。「1980年代から1990年代、我々にフランスの品種が必要だったんです。栽培の専門知識にも欠けていましたし、テロワールの理解もできていませんでしたから。私は1980年代の早い時期に初めてボルドーに行ったとき、自分は栽培のことを何も知らないのだと思い知らされました。」

「でも1990年代の終わりごろには私は自信を持ち、冷静になることができました。今世紀になってからは、その20世紀の失敗のおかげで我々独自の栽培文化を生み出すことができました。あの頃はフランスの品種を使う必要がありましたが、最近ではフランスのものは栽培という意味でも、醸造という観点からも何一つ使う必要はありません。すべてのイタリアの産地はテロワールと固有品種の両方を表現したいと考えていて、今それができるようになったからです。」

このイタリア全土での健康的な流れを反映するように、彼は現在ではトスカーナの南部のモンタルチーノやシチリアのエトナで自身の製品に注力できるようになった。それらは雄弁にその土地を語り、かつて20世紀が終わりを告げようとしていた頃に力のあったイタリアン・ワイン・ガイドに愛されていたようなターボ・チャージされたフレンチ・イタリアンの怪物ワインとは似ても似つかないものだ。敏感なテイスターたちは当時大流行していたこれら一握りのコンサルタントに対しイタリアよりもフランスを尊重しているとして非難していたものだ。

フェッリーニやその仲間をコンサルタントとして雇うことは、その費用を払う余裕のあるイタリアのワイン生産者の間では名誉の証(そしてワイン・ガイドで高得点を取得する近道)だった時期があった。だが最近ではイタリアの専門家ウォルター・スペラーが指摘するように「フェッリーニのようなワイン・コンサルタントは今でも引く手あまただが、コンサルタントを利用している生産者たちは以前よりもそれを大っぴらにしなくなってきました。彼のようなコンサルタントを雇うことは自分のワインを作る、あるいは自分のテロワールを理解する能力に欠けているのだと受け取られるようになったためです。」

確かにこのことは事実のようだ、ダイナミックなアルベルト・タスカが自身のエトナでの新しいワイナリー、タスカンテのテイスティング・ランチを開催した際、タスカは彼の元々のワイナリーであるシチリア内陸部にあるレガレアリでも、タスカンテでもフェッリーニがコンサルタントだったにもかかわらず、彼の名を一言も口にしなかった。

フェッリーニのクライアントは枚挙にいとまがない。サン・レオナルド(非常に上質なトレンティーノのワイナリー)、フォンテルートリ(おなじくキャンティのそれ)、ブランカイア、ブローリオ、ポリツィアーノ、テリッツィオなどだ。そして彼は自身のワインメーキング・チームをそれらのワイナリーに配置して、自分は数週間ごとにそれを回るだけなのだと話した。

彼にはワインメーキングの明確な後継者はいないが、彼の娘のビアンカ(父と共に上の写真に写っている)は彼と共に働いている。彼女は引退したウォーター・ポロの選手であり、経済学と農学を勉強した人物で、フェッリーニは自身の二つのワイナリーは彼女のためにあるのだと話した。

ジオドは彼のブランド・ネームで、彼の母ジョヴァンナ(北東部にあるフリウリ出身で、彼の印象的な顔立ちやきれいなグレイの口髭がどことなくイタリア人というよりハプスブルクの風を感じさせるのはそのためかもしれない)と父ドナテッロの名前にちなんでつけたものだ。彼は自分はもともと非常に貧しかったが、それでも彼の両親は彼にしっかりと教育を受けさせてくれたのだと強調した。

彼は1979年、25歳の時に初めてワインを作り、キャンティのコンソルツィオ(生産者組合)で何年も働き、特にサンジョヴェーゼのよりよいクローン探しに力を入れていた。当時トスカーナの丘に広く植えられていたのは生産性が高いが品質の低いクローンだったためだ。

1992年、彼はコンサルタントとしてのキャリアを始めてすぐにイタリア中に顧客を抱えるようになった。だから英語を学ぶ暇がなかったのだというのが彼の主張だ。

2000年には条件の良い場所になんとかブルネッロの畑を取得することができた。ちょうどトスカーナの丘にあるモンタルチーノ周辺の地価が流行に乗り高騰する直前のことだ。彼は2009年まで待ってからジオド・ブルネッロ・ディ・モンタルチーノを作り、先日そのプライベート・ワインすべてのヴィンテージを2015のカスク・サンプルに至るまでロンドンでヨーロッパじゅうのワイン・ライターたちにお披露目した。「これは私にとって非常に感情的なテイスティングなんです」と彼は何度も言っていた。

2010と2015は特に素晴らしく、彼が求めているというエレガンスを余すことなく表現していた。2009や2012のように夏に雨が少なかった年には若干のドライなタンニンが余韻に残った。

ブルネッロは決して安くはないが、比較的お買い得なIGTトスカーナ・ロッソは同じワイナリーで作られ、樽の使用を控え目にしてあえて若いうちに飲めるよう作られたものだ。私は美しくもフレッシュでエネルギッシュ、かつ森の下生えのニュアンスが出始めている2016のトスカーナ・ロッソに心を奪われた。

もう一つ私がフェッリーニの紹介したジオドの中から気に入ったのはこれも2016でそれほど高価ではない産地、シチリアのエトナ山にある場所で彼曰く「年寄りの愚行」として作られたワインのファースト・ヴィンテージだ。彼はその地でコンサルタントをしていた際、溶岩の転がる段々畑の中に古いネレッロ・マスカレーゼが株仕立てで植えられている小さな一角をみつけた。少しずつ8つの区画を買い集め、全部で1.5ヘクタールほどの平均樹齢が80年から100年のブドウを手に入れた。その結果がアルベレッリ・ディ・ジオドと呼ばれるワインで、ワイヤーを使わず株仕立てで育てられたというイタリア語にちなんだ名前のこのワインはパッソピッシャロ村の近くにあるクライアントのワイナリーで醸造されたものだ。

一つ難点があるすれば、多くのエトナの最上級の畑と同様、彼の畑もエトナDOCで規定されている標高の上限よりわずかに高い場所にある点だ(この上限は現在では低すぎると思われる)。そのためアルベレッリ・ディ・ジオドは単なるシチリアという地理名称で販売されている。

彼のワインの野望はそれだけではない。最高品質の白ワインを、低く評価され過ぎていて、誤解されていると彼が考える品種から作ることが次の目標だ。「あと20年あればヴェルデッキオのワイナリーを買いたいですね」彼はアドリア海沿岸の古典的な品種についてそう話した。今度はミスター・ヴェルデッキオとなるのだろうか?

フェッリーニのお気に入り

リー&サンデマンのイギリスでの混載12本の価格を併記している。1本で購入する場合は数ポンド高くなるだろう。

Giodo 2016 Toscana Rosso
£35.95 Lea & Sandeman

Alberelli di Giodo 2016 Sicilia
£50.95 Lea & Sandeman

Giodo 2012 Brunello di Montalcino
£81.50 Lea & Sandeman
From $100 from various US wine retailers

Giodo 2010 Brunello di Montalcino
€195 Chateau & Estate The Wine Gourmet, Mühlheim, Germany
2,000 kroner, Supervin, Denmark

完全なテイスティング・ノートはGiodo – elegant Brunello and Nerelloを参照のこと。国際的な取扱業者はWine-Searcher.comで見つけられる。

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