ARTICLEワイン記事和訳 本記事は著者であるジャンシス・ロビンソンMWから承諾を得て、
Jancisrobinson.com 掲載の無料記事を翻訳したものです。

ヘメル・アン・アールダのワイン生産者たち

これらのワイン生産者たちは地上の楽園でピノやシャルドネを栽培している。この記事のショート・バージョンはフィナンシャル・タイムズにも掲載されている。Hemel-en-Aarde tastedも参照のこと。

ブルゴーニュとピノの組み合わせの人気は20年、いや30年ほども続いているだろうか。だがボリューム感のある赤ワインで有名な南アフリカでこのデリケートなブドウの希望が最も持てる場所がどこなのか、特定するには時間が必要だった。

ケープのワイン産地の全てが、この早熟品種にとって暑すぎるというわけではない。実はかつて、アフリカ大陸最南端のアガラス岬の奥地にピノ・ノワールを植えた生産者がいる。ところが、その地は果皮が薄く、か弱いピノ・ノワールにとっては気温が低すぎ、雨も多すぎることが判明した。結果として彼らは上質なソーヴィニヨン・ブランやシラーへ転換することとなった。

しかしこの国はようやくピノ・ノワールのためのスイート・スポットを探し当てたようだ。アガラス岬にほど近い南海岸、エルギンの果樹園の狭間だ。そこは「地上の楽園」として知られる人口わずかな地域で、ホエール・ウォッチングで有名なリゾート地、ヘルマナスから内陸へ入る、アフリカーンス語でヘメル・アン・アールダと呼ばれる場所だ。

21世紀初頭、ヘルマナスにある海沿いのヴィラから内陸に15㎞ほど内陸に伸びるこの渓谷にはたった6軒のワイン生産者しかいなかった。ところが2004年にピノ・ノワールのプロモーションとも言える映画、サイドウェイズが公開されるとそれに8軒が加わり、現在は約20軒となった。今やこの地の名声の高さから、ヘメル・アン・アールダのブドウを買い付け、別の土地でそれを醸造している若手の小規模生産者たちも多い。彼らはケープのワイン業界再構築に貢献してきたという一面も持つ。

レイノ・ティアート(Reino Thiart)はヘルマナスを訪れた人がまず目を留める、ホエールヘヴン・ワイナリーのワインメーカーだ(自社畑は所有していないが、観光客に人気のスポットだ)。このワイナリーはヘメル・アン・アールダの地域からほんのわずかに外れた場所にあるが、彼はいつもブドウをヘメルから買い付けている。ティアートは私が先日訪問した際、こう話していた。「いいピノを(南アフリカで)造りたいなら、ヘメルに来るべきですよ。この谷には素晴らしい生産者がいます。ピノの価格は当然のことですが1トン当たり25,000から30,000ランド程度まで値上がりしましたけどね」。参考までに記すと、ステレンボッシュで人気の高いカベルネ・ソーヴィニヨンは1トン当たりおよそ14,000から16,000 ランドで取引されている。なおヘメルのピノの小売価格は1本あたり25から40ポンドで、南アフリカで購入すればさらに安い。

ヘメル・アン・アールダでピノよりもわずかに栽培面積が小さいのがブルゴーニュの白品種であるシャルドネだ。こちらは1トン当たり16,000から22,000ランドで取引されており、ワインもピノよりは若干安い。これはおそらくピノ・ノワールと違って南アフリカに心躍るようなシャルドネの供給源が他にも沢山あるからだろう。ただし、私としてはヘメルの現在はピノ・ノワールよりもシャルドネでうまくいっていると書いておきたい。確かにシャルドネはピノより、どこで作るにしても容易だ。だがヘメルの谷の各畑で、数が非常に多いピノのクローンのどれが最適なのかを知るには時間がかかっているのが現状だからだ。これは最高品質のピノのブドウの樹が、ほとんどがまだその成熟期に入っていないことを意味する。

このことはヘメルのパイオニアであるハミルトン・ラッセルでも何年もの間課題だった。ハミルトン・ラッセルは、ヨハニスベルグの広告代理店、J・ウォルター・トンプソンの会長だったティム・ハミルトン・ラッセルによって1975年という早い時期に、類まれなる視点を持って設立されたワイナリーだ。かつては貧しい羊飼いの土地で、へき地であるがゆえにケープのハンセン病患者居住地に選ばれたこともある場所だ。この地が上質ワインの産地になりえると想像することは大きな賭けであり、勇気ある決断だったと言える。彼はこの明らかに狂気とも言える冒険に、最初のワインメーカーとなるピーター・フィンレイソンが首を縦に振ってくれるまで14年もの歳月を待たなくてはならなかった。彼はのちに、この谷を更に入った場所でブルゴーニュ人とともにブシャール・フィンレイソンというワイナリーを設立している。このことはある意味、ハミルトン・ラッセルが正しかった証明であると言えるだろう。

ティムが2013年に亡くなる頃には、ワイナリーはエネルギッシュな息子のアンソニーとその妻オリーブに託されていた。彼はきっとこの谷が公的機関にこれほどまでに明確に認識され、南アフリカの複雑な地理的呼称システムの中で明確な3つのアペレーションとして確立したことを喜ばしく思っていたに違いない。その3つとはハミルトン・ラッセルとブシャール・フィンレイソンが最初に興したヘメル・アン・アールダ・ヴァレー、そこから更に奥に入るアッパー・ヘメル・アン・アールダ、そして海岸から最も遠く、そこから東へ向かうクレイン・リヴァー・バレーの起点となるヘメル・アン・アールダ・リッジだ。

これら3つのアペレーションは南アフリカのほとんどの地域よりも涼しい。特にウォーカー・ベイから鋭い風が吹き込む昼間は、南極海から流れ来る氷のように冷たいベンゲラ海流に直接冷やされているかのようだ。また、この地はケープの他のワイン産地に比べて雨が多く、その頻度も増加しているため、灌漑をしなくてもやっていける。私の滞在中には、ここ10年ほど南アフリカを悩ませている干ばつの兆候は全く見られなかった。ただし停電は日常茶飯事で、なかなかの混乱をもたらした。

ここのワイン産業は雀の涙ほどの利益を得ているだけで既に崩壊寸前で、ジェネレータやディーゼル、ソーラー・パネルなどを導入する資金がないのだ。ケープ・タウンのレストランは夏の繁忙期になると利益が電気代で消えてしまうという状況が何年も続いている。

ハミルトン・ラッセルのキッチン

今月初旬、プレ・テイスティング・ランチのためにワイナリーの上にあるアンソニー・ハミルトン・ラッセルの自宅、ブレーマーを訪れた際には、午後2時に停電があるからラップトップを今すぐ充電するようにと促された。上の写真はハミルトン・ラッセルがコンセントにラップトップをつなごうとしてくれているところだ。

ブレーマーはこれまで見たこともないような遺物のコレクション(麺棒や、この土地の地下から発掘された石器時代の手斧から、ハミルトン・ラッセルが楽しんだカキの殻が積み重ねられ、1つの長いフレームに説明書きがつけられたものまで)があちこちにあった。私はそこで18人の地元のワイン生産者と会い、1生産者当たり2種のワインと共に土曜の午後の楽しいひと時を過ごした。彼らは全員が丸い長テーブルを囲んで互いのワインをテイスティングし(下の写真参照)、マスター・オブ・ワインたちの集まりのようにワイワイと議論を交していた。ただし、ラグビーの試合がテレビに映し出されるや否や、その興味はあっという間に別の方向へ向けられた。彼らは南アフリカの他のワイン産地のどこよりも団結しているグループとして知られている。あるヘメルのワインメーカーが教えてくれた。「もし彼らが認める品質のワインを造れていなかったら、それをちゃんと教えてくれますからね」。

ハミルトン・ラッセルのホール
ハミルトン・ラッセルでビスケットをくすねる犬

ボスマン一家はヘメル・アン・アールダからかなり内陸に入ったウェリントンで8世代にわたりワイン造りをしている。彼らは先見の明を持つが、中でも需要の大きい育苗商の設置と労働者の生活環境を向上させる多くの仕組みを提供してきたことは特筆に値する。その点を考慮すれば、彼らが2001年にヘメル・アン・アールダに2件目のワイナリー設立を決めたことは大きな意味がある。彼らのビジター・センターは入念に保護されたフィンボスの間を散策できるとして旅行者の間でも人気だが、ワイン自体は遥かに気温が高く降雨量の少ない乾燥したウェリントンで、女性だけのチームが造っている。

実はこのチームはワインメーカーであるナターシャ・ウィリアムズがベルギー人所有のハシャー・ファミリー・エステイト(Hasher Family Estate)に引き抜かれることが決まっており、以降大きく力を削がれることが懸念される。2021年、ベルギー人カップルがサマリッジにある古いワイナリーを買い取ったのだが、そこはつい最近までホエールヘブンやフランシュックにあるブーケンハーツクルーフがヘメルに持つ支店とも言えるカップ・マリタイムなどの生産者たちにピノ・ノワールのブドウを供給していた場所でもある。

(先週のワインズ・オブ・ザ・ウィークで取り上げた)ウィリアムズは自身のラベルであるレリー・ヴァン・サロン(Lelie van Saron)を持参した。サロンは彼女がステレンボッシュでワイン造りを学ぶまで育った場所だ。彼女はその後ジュラとカリフォルニアのメリー・エドワーズでも経験を積んだ。彼女のシラーは卓越しているが、彼女の造るワインは今のところかつて働いていたボスマンで栽培されたものを使用しており、彼女自身はその状況が続くことを願っている。

もう1本、ワインの名前を自分の故郷にちなんでいるワインがあった。テッセラールスダルだ。快活なベリーヌ・サウルスが2015年に立ち上げたもので、彼女はハミルトン・ラッセルへの留学生としてキャリアをスタートし、現在は彼らのワイン事業の物流担当だ。彼女はテッセラールスダルの小さな土地に畑を作ると決めている。この土地は元の創設者が9人の使用人と奴隷たちにその土地を遺し、その子孫が耕作を行っている場所だ。だが土中の塩分など自然の問題が立ちはだかり、サウルスはブドウ畑として確立するためにはあと10年は必要だと告白する。現時点では彼女のピノとシャルドネはヘメル・アン・アールダ・リッジにあるラヴィエルジュのものを買い入れ、ワインはハミルトン・ラッセルの才能あふれるワインメーカー、エムル・ロスが造っている。

実際のところこれらすべてのワインの生産者たちが私に提供してくれたのはほぼすべてピノとシャルドネで、基本的にはそのどちらかひとつだったが、例外は個性的なバルト・エクスティーン(Bartho Eksteen)だった。彼は樽を使った非常に上質なソーヴィニヨン・ブランを提供してくれたのである。南アフリカ版ペサック・レオニャンといったスタイルだ。

この地域はブルゴーニュの最高峰のライバルとまではいかないが、着実にその地位を狙っている。

お気に入りのヘメル・アン・アールダのワインたち

シャルドネ

Bouchard Finlayson, Missionvale Chardonnay 2021 Valley 13.1%
Seckford, Cape Ardor

Cap Maritime Chardonnay 2021 Upper 13.5%
New Generation, Vineyard Brands

Creation Wines, The Art of Chardonnay 2021 Ridge 13.5%
Bibendum, Cape Ardor

Hamilton Russell Chardonnay 2022 Valley 13.2%
Mentzendorff, Vineyard Brands

Lelie van Saron Chardonnay 2021 Upper 12.8%
Indigo, Vine Street

Newton Johnson, Family Vineyards Chardonnay 2021 Upper 13.8%
Dreyfus Ashby, Vine Street

Restless River, Ava Marie Chardonnay 2020 Upper 13%
Swig

Storm Wines, Vrede Chardonnay 2022 Valley 13.2%
Justerini & Brooks, Broadbent Selections

Tesselaarsdal Chardonnay 2022 Ridge 12.9%
Swig, Vineyard Brands, 11 more countries and via Instagram

ピノ・ノワール

Bouchard Finlayson, Tête de Cuvée 2019 Valley 13.9%
Seckford, Cape Ardor

Creation Wines, The Art of Pinot Noir 2021 Ridge 13.2%
Bibendum, Cape Ardor

Crystallum, Bona Fide Pinot Noir 2022 Valley 13.5%
Liberty, Skurnik

Bartho Eksteen, Fluister Pinot Noir 2021 Valley 13%
The Aycorn Shoppe (Old Coulsdon), Elephants Corner (Winston Salem, NC)

シラー

Lelie van Saron Syrah 2021 Upper 13%
Indigo, Vine Street

テイスティング・ノート、スコア、お勧めの飲み頃はHemel-en-Aarde tastedを、世界の取扱業者はWine-Searcher.comを参照のこと。

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